ピアフと、ディートリヒと、トキコさん
(2016年7月3日 於オーチャードホール)


 
◆1人2役の女優、トキコさん
トキコさんの今年のオーチャードホールは、「エディット・ピアフ物語」。トキコさんが女優となり、敬愛する2人のアーティスト、エディット・ピアフとマレーネ・ディートリヒに扮して、2人の視点からピアフの人生に触れるというもの。コンサートでもあり、壮大なひとつのお芝居でもあるような、トキコさんの新鮮な試み。去年からずっと撮影したかった舞台に、私は心弾む思いで臨みました。
このドキュメント・トキコも、今回は趣向を変えて、できるだけ物語の内容をそのまま、お届けしたいと思います。

◆さあ開演です!

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
7月3日、この日の楽屋エリアは、色とりどりの美しい花々の生気で満ち溢れていた。
開演の1ベルが鳴り、トキコさんが背筋を伸ばし、颯爽とステージに向かう。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
舞台袖で静かに円陣。共演者と共にグーっと力を溜めるように沈み込み、ぱっと開いた(手前右がトキコさん)

客電が落ち、ステージ上で前奏が始まる。奥の方から、歌姫が静かに登場する。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪また恋しちゃったの

1曲目はマレーネ・ディートリヒの出世作1930年のドイツ映画『嘆きの天使』より『また恋しちゃったの』。

歌い終わり、拍手が落ち着いたころ、トキコさんが一言。
「・・・マレーネ・ディートリヒです」
シャープで上品な黒の衣装に身を包み、静かに微笑みながら言ったこの一言で、あっという間に1930年代へとみんなを連れて行ってくれる。
マレーネによる自己紹介と、ピアフの人生に少し触れた後、ピアフ14歳のパリの路上へと我々は飛んだ。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪サ・イラ

明るく元気一杯のメロディとリズムに乗って歌う姿は、本当に路上で歌う14歳のように見えてくるから不思議だ。続いての一曲は一転して、ダークでアンニュイな一曲、「私の街」。ピアフが佇む、貧しいパリの路地裏の、濡れた匂いが香ってくるような気がした。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪私の街

ピアフ:
「路上で歌ったわ、楽しかったわよ。食べて行くのがやっとだった。でも一つだけ心に決めたことがあった、絶対に身体は売らないって。守れたかって?・・・バカ(笑)大事なのは、事実より志なのよ・・・」

笑いあり、哀しみあり、その時代のヒリヒリするような現実と、その暮らしをさらりと話す姿は本当にピアフが目の前に現れたよう。同時に風情はどこか、トキコさんのようでもあり、やはり2人は心の根本的な部分で、何か近いものがあるのかもしれない。

歌うピアフを路上でスカウトしたのは、ルイ・ルプレー (Louis Leplée)。彼のナイトクラブ「ジェルニーズ」で歌うようになる。当時小柄だった彼女に「小さな雀」という意味でMon Piafと名付けてくれたのもルプレーだった。ピアフは一夜にしてスターになり、レコーディング、映画出演などを経験した。初めて出したレコードは、当初ダミアが歌っていた歌「異国の人」。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪異国の人

その後ルプレーが殺害され、ピアフにも疑いがかけられ、結局真相は闇の中だったが、人々のそしりにあい、ピアフはステージはもちろん路上でも歌うことが出来なくなった。
ピアフ「私にとって、歌う場所がないということは、死ねというのと同じこと!」

そんなピアフを見ていてくれた人がレーモン・アッソ。丸裸で転がり込んだ彼女に、彼は本を読むことを教え、詩を教え、歌の世界を生ききることを教えてくれたという。

ピアフ「もううんざり!うるさいおやじ、と思った。何度か逃げ出しもした。でも彼こそがエディット・ピアフの生みの親でした。私は見事に、エディット・ピアフとしてよみがえったのよ」
そんなレーモンも、戦争にとられてしまった。

そしてある日、家の前に一人の兵隊が来て「聴いてほしい歌がある」といって持ってきた歌が「アコーディオン弾き」。素晴らしくて、ピアフはすぐにステージで歌うプログラムに加えたが、その兵士もそのまま戦場へ行ってしまったという。
ピアフ「でもこの曲は、私をずっとその後も支えてくれる大事な曲になりました」

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪アコーディオン弾き
♪メアキュルバ

ピアフにとって忘れることの出来ない罪があった。16歳の時に授かった赤ちゃんを、病死させてしまったこと。
当時本当にお金がなくて、お葬式を出すためにピアフは街角に立つ。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪名前も知らないあの人へ

~だけどその夜私は 男の誘いに乗った
たった10フランのお金が どうしてもほしくて~

~たとえ殺されようと あんたなんかに
体を売るような 女じゃないのに~

静かに涙をこぼし、歯を食いしばるピアフが見えるようだった。
「今朝娘が死んだの、2歳だった。お葬式のお金のために、今夜あなたに抱かれるの」と話すピアフに、男は10フランを置いて「それが人生ってもんだ」と言い残し、黙って部屋を出て行ったという。

♪ペール・ラシェーズ

オーチャードホールは大きな拍手に包まれた。
その中を颯爽と引き上げて行くトキコさん。
私は物語の世界から離れたくなくて、15分間の休憩時間が待ち遠しいくらいだった。

◆第二部の開演!

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪リリー・マルレーン

マレーネ:
「国を愛することは、戦争をすることではない。どんな時も生き抜いて、命を守り抜くこと。そう思って戦っていたのはもちろん私1人ではありませんでした。その後出会うことになるフランスの歌姫エディット・ピアフもまた、ナチス占領下のフランスで、果敢にレジスタンスの兵士を助け、ユダヤ人のピアニストをステージにあげていました」

自分たちに出来ることは、どんなときも、生きる喜びを伝えること。絶望を希望に変えること。これも、今の時代を生きて歌う、トキコさんの姿に重なって見える。
そしてピアフにとって戦後最大のヒット曲となった、ピアフ作詞作曲の、珍しく幸せ一杯なラブソング。バラ色の人生。

♪バラ色の人生

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪愛の讃歌
♪それでもなお

恋人のボクサー、マルセル・セルダンを事故で亡くしてからのピアフは、毎日泣いたという。
マルセルと話したくなったら霊媒師のところへ行き、マレーネが付き添った。酒とモルヒネに浸った日々を送るようになる。

そんなころ、ある歌を思い出す。戦争中、恋人だったユダヤ人のピアニスト、グランツベルクがピアフのために作った歌をそのままにしていたのだった。
ピアフ「いまこそこの歌を歌わなくては。誰もがゲシュタポの足音におびえていた日々を、この歌に託すのよ!」

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪パダンパダン

足音に似たリズムと歌詞が繰り返され、狂気と戦慄をいまでも感じるのは、この歌に込められたグランツベルクの想いの強さが、氷の中から解凍されて聴く我々の心を掴んで揺さぶるからだろうか。

もう心身ともにボロボロ、起き上がることすらやっとだったピアフに、シャルル・デュモンが持ち込んだ一曲の歌。「私は後悔しない」。これこそ待っていた曲だとピアフは奮い立ち、オランピア劇場での3か月のロングラン公演を決め、大成功させてしまう。

ピアフ「私はいつも、歌に助けられてきた。歌うことで命の火が燃え上がるのよ」

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪私は後悔しない

オランピアの後ツアーに出て、ステージで倒れながら歌い、もう世の中からピアフは終わったと言われ始めたが、その2年後に再びオランピアをやり遂げたピアフ。
その頃、恋人だったのが20代のフランシス・レイ。彼が作ってくれた「響け太鼓」は、そのオランピアのアンコールで歌い、大喝采を浴びることになる。

♪響け太鼓

~さあみんな太鼓を叩いて 毎日どこかで死んでいく人のために
路上で泣いている人のために ヒロシマのために パールハーバーのために
果てしない恐怖の中で 夜も昼も太鼓を叩いた人のために
いったいいつになったら愛のために叩くのかしら さあみんな太鼓を叩いて~
(日本語詞:加藤登紀子)

マレーネ:「人生は楽じゃない。でも人生を素晴らしく生きるために奮闘すれば、人生は素晴らしくなる」
ピアフが最後、死にそうになって動けなくなっていた頃に、まさにこの内容の歌をジャック・ブレルが作詞、シャルル・デュモンが作曲し、電話でシャルルが聴かせてくれたという。
もう体力的に歌えないと答えるピアフはそれでも、とても嬉しかったという。
その歌は、「あなた次第」。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪あなた次第

~生きていくの 生きないの
笑って生きるの 笑わないの
決めるのは あなた~(日本語詞:加藤登紀子)

柔らかく包み込むような優しい旋律に、穏やかだけども芯のある言葉がつづいていく。
死ぬ間際にあって、この歌を聞いたピアフの心はどんなだっただろう。
この曲の3年前に、やはりシャルル・デュモン作曲で作られた一曲が、その答えのような気もする。

♪私の神様
~もう少し ここにいさせて
一日でも 二日でも 八日でも
愛する人のそばにいさせて~(日本語詞・加藤登紀子)

そうしているうちに、ステージは暗転。
エディット・ピアフの葬列となり、葬送曲を歌う男性コーラス、棺を運ぶ人々が現れる。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪谷間に三つの鐘が鳴る

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜

マレーネ:
「もうあの歌を聴くことができないことに、大きな怒りと悲しみが押し寄せてきました。何故だかその時私は歌い続けるわ、って心に決めたの」
当時62歳だったマレーネはその後75歳で舞台を降りるまで歌い続けた。

晩年のピアフはアメリカ公演を予定していたという。ケネディにも会う予定で楽しみにしていたが、ピアフの亡くなった1か月余り後、ケネディは暗殺されてしまう。

マレーネ:
「ベトナム戦争を終わらせようとして、きっとケネディは殺されたのね。いつになったら、人は気づくのでしょうか・・・」

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪花はどこへ行った

◆アンコール!
激しいリズムが鳴り響き、客席は立ち上がる。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪雑踏

新しい本『愛の讃歌 エディット・ピアフの生きた時代』を出したばかりのトキコさん。
トキコさん:
「好評なのよ、何が好評って、中の文字が大きくて読みやすいって・・・笑」
会場は大爆笑に包まれた。

「ペール・ラシェーズ墓地の、いちばん端のところに、パリ・コミューンの兵士たちの殺されていった壁というのがあって、それがピアフのお墓のすぐそばなの!
ピアフのお墓参りに行くなら、絶対壁を通ってから、行かなきゃだめよ!」

そんなパリ・コミューンの兵士たちの歌で、しめくくるピアフの物語。

TOKIKO CHANTE PIAF 〜加藤登紀子ピアフ物語〜
♪さくらんぼの実る頃

ピアフの一生を歌い切ったトキコさんは、ピアフとディートリヒの想いの輝きを時代も国も超えて受け継いで、更に内側から輝きでるような力強さに溢れていた。
歌い、語る姿の強さとしなやかさ、平和への祈りのような愛に溢れた思いが最後の「さくらんぼの実る頃」に集約され、会場は割れんばかりの拍手の渦に飲み込まれていった。

トキコさんの「ピアフ物語」ツアーが終わってしまったのが本当に残念!
でも、7月22日からの苗場、フジロック・フェスティバルでは再びピアフの歌の世界を見せてくれそうです。6年連続出演しているトキコさんは今年、3日間、フジロックのステージに立ちます。3日間立つ人は、忌野清志郎さん以来だそうです。

2016年トキコさんの夏は熱い夏になりそうです。トキコさんの歌と人生へのエネルギーを、私なりに写真に焼き付けていきたいと思います。

 

写真と文:ヒダキトモコ

 



ヒダキトモコ
写真家。日本舞台写真家協会会員。
各種雑誌、CD/DVDジャケット等エンタテインメント全般、企業広告等を撮影。
趣味はバックパッカーの旅。
http://hidaki.weebly.com / twitter ID: hidachan_foto

 
 
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