加藤登紀子となかま達が唄う----八ツ場いのちの輝き
(10月9日 東京・日本青年館大ホール)
「利根川の上流にね、国がとんでもないダムを作ろうとしているの」
そんな話を登紀子さんから聞いたのは、いつのことだっただろう。
「で、どう『とんでもない』のです?」
「飲料水にしようとも酸性が強くて水質にも問題あり。それに首都圏はもう水あまりの状況でしょ」
「あれ? 水って、あまっているんでしたっけ?」
「最近、節水家電も増えて、首都の人口も頭打ちだしね。その上、ダム湖周辺は地すべり地帯の上、上流には活火山もあって危険なの」
「うー、爆発したら、ちょっと怖いですね。下流に住む私としては…」
「ちょっとじゃない!すごく怖いわよ〜。環境だけじゃなくてさ、一番心が痛むのは、ダム計画が発表されて50年たつのに、ダム本体はできていないわ、代替地も整備が進んでいないわ、長年、振り回されて傷ついているダム周辺の人かな」
「地元の人、大変だなあ」
「八ツ場だけの問題じゃないのよ。ダムを作るとしたら、かれこれ合計9000億の税金が投入されるの。私たちの住む下流の東京や千葉県だって何千億円の地方税が使われるんだから」
「え〜、問題のあるダムに、そんなにつぎ込むの?」
「知らない人がほとんどよね。まずは知ってもらうためにいろいろ手を打たないとね」
星空の下、熱心に語る登紀子さんに相槌を打つ。ふんふん、と聞きながらも、翌日ともなればダムの話は頭の片隅に追いやられ、日常に戻っていく。日本のどこかで自然災害が発生しても、とんでもない政策が発表されても、「大変だね、ひどいねー」とテレビの前で、ひとごとのようにつぶやく……そんな暮らしに。
しかし、登紀子さんは違う。「大変だね」と思うより先に「私がやることがいっぱいあるな」と考える人なのだ。
よく晴れた三連休最後の日。会場となった青年会館のまわりの芝生では、親子連れたちが日向ぼっこを楽しんでいる。その隣で八ツ場ダムについての集まりが開かれるなんて不思議な気がするが、登紀子さんと同様に「やることがある」と考える人はどの世代にもいるらしい。
10代から70代くらいまでの一般市民や学生、研究者たちが1年がかりで、こつこつと準備に準備を重ねて実現した今日のコンサートが、午後3時をまわったところで、幕をあけた。
まず、八ツ場ダム周辺に残る美しい自然、対照的に顔をゆがめ苦悩するダム水没予定地である川原湯の人々、その人たちと酒を酌み交わし話を聞く登紀子さんの映像が流れる。続いて、専門家の先生による治水・利水についての概要、ダムの問題点、地域の生活再建などの解説があり、永六輔さんも登場して、自由討論が開かれた。
鼻息荒くのめり込んで話す登紀子さんに、「すいませんね、思い込みの強い女なんです」と、父親のような顔をしてあやまる六輔さんに、会場から共感の?笑いがもれる。

が、独壇場となったら最後。誰にも止められない。
「ダムを作る・作らないという問題の前に、川原湯の人を元気にさせたいの。昨日あったお土産物屋さんがね、ブルドーザーでなぎ倒されるのをみてると、住民じゃなくても切ないのよ。それで、私の作戦はねー、空き家に勝手に住み着いちゃう!! これよ、どうかしら?」
いつものことだけれど、ぶっとんだ登紀子さんの発案に、賢明な先生方や六輔さんがあわててマイクを握る。
「あ、あのー、それって住居侵入罪…」
「いえ、その前に、更地にしないと住民に保証金が出ないんです」
「あなた、そんなにのめり込んでいるなら、鴨川から移住したらどうですか」
「なんで私がのめり込んでしまったかは、ここに関わって分かったことがいっぱいあるからなのよ。住むのがダメなら、みんなで温泉に行って飲みましょう! ああ、こんなにいいとこなんだ。って思えば沈めるのが惜しくなるし、川原湯になぜかワンサカお客さんがいっぱい来たら、話題になるでしょ。お店や宿を閉めることもないわよね。永さんを団長に温泉ツアーしましょう!」
これには、専門家の先生たちも会場もドッと沸く。そうか、それなら、普段、「ひとごとでおしまい」の私にもできそうだと、パチパチ拍手を送っていると、そこへ野田知佑さんと池田理代子さん登場。
「野田さん、登紀子がまた何かやっている……って来てくれたの?」
「うん、いつものことだから」
「川に生きる男として、一言」
「国家がウソをついちゃいけません。この国はダメになります」
一方、長いドレスを着た池田理代子さんは、「私の憧れのお登紀お姉さん、『ふるさと』を唄わせていただきます」と、野田さんのハーニカの伴奏に乗せて、澄んだソプラノで会場を包む。

さわやかな余韻が残る第一部が終了したら、
第二部は、心おきなく、登紀子トーク&ライブ!
スペシャルゲストとして、なんと南こうせつさん登場。「川」にちなんで、応援に駆けつけてくれたのだろうか?
「神田川はね、途中で隅田川に吸収されちゃうんだ。自力で東京湾に注いでいれば、もうちょっと明るい歌だったんだけど……ハハハ。お登紀さんは、すごいミュージシャンなんですよね。社会性のあるメッセージを歌にして、がなりたてていても、実際には何にもやらない人も多いんですよ。え〜、そんな何にもメッセージもない男だけど、神田川、聞いてください」
……と謙遜しながらの熱唱だったけれど、登紀子さんは「こうせつさんね、この話をしたら一番に『協力します!』って言ってくれたのよ」と後でそっと教えてくれた。
ギター片手に「時には昔の話を」「檸檬」を歌い終えた後、登紀子さん、少し泣きそうな声で、ポツリ、ポツリと語りはじめた。
「八ツ場の取材を続けている新聞社の記者がね、『八ツ場の記事はなかなか社内で取り上げてもらえない』って嘆いていたんだけど、熱意が実ったのか、先日、大きな記事になりました。でも、その人がね、『八ツ場に関わる人はみんなズタズタになる。それぞれに利害が絡んでいるから、ひとつになるのは難しい』って。でもね、人は、どんなことがあっても生きていかなきゃいけない。私は、いったい何ができるんだろう。……それで、地元の人に『ああ、今日はいい夜だったね』と言ってもらえるような、そんなコンサートをしたくて。たった2回、川野原で歌っただけだったんだけど、ほんとに懐かしいんですね。いい時間と場所があれば、人は生きていけるんじゃないかしら」
アンコールに歌われたジョン・レノンの「イマジン」を聞きながら、登紀子さんが、先ほど言った「この八ツ場に関わって分かったこと」が少し見えたような気がした。
地元・鴨川の産廃処理施設の反対や、新潟の遺伝子組み換えイネに対する裁判を起こしたりと、登紀子さんが首を突っ込んでいる環境や人権問題などは数しれない。
環境破壊への怒りや、政府に対しての憤りもあるだろう。しかし、掘り下げていくと、同じ人間として、ささやかだけど幸せだった静かな暮らしを、破壊され苦しむ八ツ場の人たちへの深い「共感」が、登紀子さんを動かしているのだと思う。
どこまでこの運動が広がるか分からない。すぐには大きな流れにはならないかもしれない。けれども、長いダム闘争で疲れ切った八ツ場の人に、厚い雲から光が射し込むような、そんな素敵な瞬間をいくつも作っていきたい。登紀子さんの気持ちは、八ツ場の人にもきっと伝わっているはずだ。
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