今年も! ほろ酔いコンサート2007 in 大阪・梅田芸術劇場

たこ焼き、道頓堀、タイガース。
ドキュメント登紀子も、大阪初レポート。
大阪はお客さん、おもしろいでーと聞いていたから楽しみだ。
しかし、寒い。 こんな日は、コタツでみかん!と言いたくなるような12月14日。 夜空に北風がビュービュー吹く大阪駅前の街を抜け、 コートのポケットに手を突っ込み、背中を丸めて梅田芸術劇場へ。
けれど、会場に足を踏み入れれば、そこはもう別世界。 熱い! 夏、夏なのだ。
♪厚い上着を脱ぎ捨てて〜
『Freedom』で幕を開けた大阪・ほろ酔いコンサート。
ほろ酔いどころか、お客さんはすでにヨイヨイで、 テンションもすでに最高潮。そこへ次の曲も、ほら、このとおり。
♪お日様がでーれば、何かが始まーる!
ここは灼熱のサハラ砂漠か、情熱のメキシコか。
真っ赤なギターと白いドレス。
紅白のめでたい登紀子さんは、仁王立ちで闘牛士のようにいさましく歌う。
寒い冬を吹き飛ばすかのような熱い歌いっぷりに拍手喝さい。
「ついに大阪上陸! 今年で30回目よー! この『色即是空』という曲は、72年につくりました。その頃は、たくさんの夢や期待がふくれんばかりに…あ、おっぱいは小さかったんですけど、ワハハハハ。あれから30年。これから、あなた、どこへ行こうかねー? 今、また振り出しに戻った気分。まだまだ生まれたばっかりの…は、いませんが、いろんな世代がいるから、大阪ならではのコンサートにしたいと思います!」
●大関とブラボーおじさん
今日は、心から!
お約束の大きな杯を持ち上げ、「か・ん・ぱーい!!」
会場から一斉に上がる紙コップ。
♪歌を歌えば今日もまた〜酒は大関、心意気〜
「この曲は、コマーシャルソングとしてではなくて、昭和の名曲のひとつに選ばれました。大関の相談役だった人がね、去年一緒にお酒を飲んだのに、今年、亡くなりました。若いときから、一緒にいろんなことを見つめてきたんです」
登紀子さんは、じっと大関の瓶を見つめて歌いだす。
『川は流れる』『琵琶湖周航の歌』『そこには風が吹いていた』
どれも、置き去りにした過去を思い出すような 懐かしくも美しいメロディーだ。
余韻にひたっていると、突如、真後ろから野太い声。
ブ・ラ・ボーォォォ!!!
地底から響き渡るような掛け声に、びっくりして飛び跳ねてしまった。
振り返れば、首にスカーフをクルンと巻いたコワモテのおじさん。
顔を赤くして、ふーふー言っている。
後で登紀子さんに、「あのおじさんの声で頭が割れそうだった」と訴えたら、 「ああ、あの人は毎年、現れる有名なブラボーおじさんよ。今日は、 前半で3回、聞こえたわ」と大笑いしていた。
●心の中に土があれば
大阪のコンサートは、歌舞伎のようによく声がかかる。
ブラボーおじさんがいるかと思えば、 一階の客席からは、次々と「○○歌ってー」と声がかかる。
「今年はリクエスト取ってないのよ。好きなようにやるから、言わないでいいのよー、ハハハ。大阪の人は勝手気まま。自由で好き勝手。それが最大の取り柄でもあり、最大の困ったことなのです。そういう感じで日本もいったらいいんですけどねー」
といいつつ、やはり関西出身の登紀子さんも、リクエストを片っ端から右から左へと聞き流して、『ひとり寝の子守唄』を口ずさみ始めた。二番を韓国語で歌うと、会場から、おおっ、とどよめき。
「言葉って不思議ですよね。方言やないと、あかんやないですか。ふふふ。ベトナムの国民的音楽家、チン・コン・ソンってを知っている? 若いとき、ひとりで旅してね、通訳の人に、連絡とってと頼んだら、『そんな、連絡とれるような方ではない』と困らせちゃったんだけど、なんでか会ってくれることになって」
通訳と部屋に通された。ふたりのために、ソーダ水を出してくれたのだけど、チン・コン・ソンのソーダ水だけ黄金色。
机の下を見たら、たくさんのボトルが転がっている。
あら、自分だけずるい!って、彼のグラスを指さしたら、ニッと笑って、私にもついでくれたわ。
グラスとグラスで語る。もう酒飲みに言葉はいらない。
それで? 彼はこう言ったの。
なんで、飲むかって?
そんなん、やってられまへんえー。
よっぱらってなきゃ、とても生きていけんでーって。
ははは、やっぱりこういう内容は標準語のほうがよかったかな。
ベトナム戦争が終わって、私のもとには、「おめでとう!」という葉書が届くんだけど、テレビではベトナムの人がボートピープルとなって、逃げていく映像が流れているの。戦争はもう終わったのにね、なんだかとてもやり切れない気持ちでした。
チン・コン・ソンが死んで6年になるけれど、この間ね、枯葉剤の影響を受けて生まれたドクちゃんが、お嫁さんを連れて、コンサートに来てくれました。彼はもう26歳になっていて、元気にサイゴンのツーヅー病院で働いています。
出会って、そして別れる。
けれども、一度、心の中に住みついた想いがあれば、 別の出会いを運んできてくれる。
心の中に土があれば、都会に土がなくても大丈夫。
心の中に土があるから、誰かを愛せる。
チン・コン・ソン作詞の『美しい昔』、そして『檸檬Lemon』。
「戦場カメラマンだった一ノ瀬泰造さんはね、ベトナムに行く前、なんでか自宅の庭に檸檬の木を植えたのね。それが30年たったら、実をつけたのだと彼のお母さんが話してくれました。私が鴨川に植えた檸檬は、まだ実をつけません。檸檬の実がなるのは、時間がかかるのだと。私はずっと待ち続けようと思います」
会場から一斉に拍手が起きる。
第一部、最後の曲は、登紀子さんから男性陣へのプレゼントとして作った曲を披露。 それは、『あまのじゃく』。
「自分のことを歌ったのかと聞かれますが、ち・が・いまーす! 会場であまのじゃくTシャツ売ってまーす!」
やっぱり、登紀子さんは大阪の人だなあ、と感心して、さて一部終了。
●大阪女子トイレ談義!
ごったがえすロビーを抜けて、目指すは女子トイレ。あれれ?不思議なトイレで、右と左に分かれている。後ろから来たおばさんたちが、「どっちやねん」「どっちが早いねん」「これは賭けやで」と言い合っている。
東京のトイレ待ちは、ほんとうに静かだ。みんなおとなしく、ジーッと無言で並んで、しずしずと出て行く。
それが、まあ、大阪の女子トイレの騒がしいこと。
「今日の登紀子さん、ようしゃべりまんなー」
「味がある、っていうんやなあ」
「もう8回目なんですけどな、ほろ酔いきますの」
「あれ、私は13回目や」
「おやまあ、それでな…」
という調子で、あの歌がいい、この歌は歌わへんのか。
わいわい、わいわい飲み屋か何かのようにかしましい。
てっきりグループで来ているのかと思ったら、
「それじゃ、またどこかでなー」とバラバラに戻っていくところ、 知らない人どうしで話していたらしく、関東の私はひどく驚いた。
大阪の友人に聞いたら、
「こっちでは普通やねん。それが大阪名物“大阪のおばちゃん”や」と 胸を張っていたから、そうなのかもしれない。
席に戻ると、靴をぬいでくつろぐ細面のおじさんが、 例のブラボーおじさんに、身を乗り出してご意見申している。
「韓国語の歌を歌ったときな、韓国語でブラボー言わな、あきまへん」 「なんて言うねん。知らへんで、韓国語はー」
“大阪のおじさん”も思ったことは、 いくら余計なお世話でも、おかまいなしに口に出さずにはいられないらしい。
どうして同じ日本でこんなに性格が違うのだろうとおかしくなる。
●ピアフの愛を
さあ、第二部は、たっぷりシャンソン。真っ赤なバラのスクリーンをバックに、真っ黒のドレスの登紀子さんがグッと大人っぽい。

「エディット・ピアフの映画見た? 手を上げて。135人くらいですかー? すごい人生を送った人よね。10代半ばで路上に立って歌い、たくさんの男を愛しました。なかでも、もっとも愛したのは、マルセル・セルダン。彼女が求める愛というのは、何だったのでしょう」
第二部のテーマはピアフの愛。
『バラ色の人生』、そして登紀子さんがピアフをイメージして作った曲『名前も知らないあの人へ』、『Pere-Lachaise ピアフに捧ぐ』と続く。
そして、ラストには、ピアフ最愛の人・マルセルが飛行機事故で死に、ボロボロになって麻薬付けになったとき、この曲を聴いて再起できたという『私は後悔しない』。すがすがしく歌い上げると、会場からは、アンコール!の大合唱が沸き起こる。
さあ、ほろ酔いは、ここからが、おもしろい。
赤い羽根を巻いて、再登場した登紀子さん、贈られたたくさんのバラの花束を抱えて歌うは、おなじみ『100万本のバラ』。
さあ、会場もいっしょに。ん? 声が小さーい!! 大阪はこんなもんでは、あきまへん。
ブラボーおじさんも、調子に乗って、ブ・ラ・ボー!!を大連発。
杯をグビグビやりながら、 「今度は、『花筐』でもどおー? 大阪のほろ酔い最高やで! さあ、オール・スタンディング!」

なんだか、友達の家にでもおじゃまして、酒の席で一曲やっているかのような客席とのかけあいがおもしろい。こんなシーンが見られるのは、大阪だけなのかもしれない。
最後に『千の風になって』、そして、クリスマスソングをアカペラで。 大阪の聖なる夜が過ぎていく。
帰りがけ、登紀子さんは、妙に反省していた。
「やっぱり、チン・コン・ソンの言葉を大阪弁でやったのは、まずかった。なんかちっとも、つらくないように聞こえない?」
「そうですねー。そこが大阪弁のいいとこでもあるんだと思いますけど。あ、でも最後の『千の風』では、涙、涙の人もいましたよ」
「笑って泣いて、大阪の人は、ほんまに元、とりまんなー」
そう言って、登紀子さんは、ニッと笑うのだ。
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白石 あづさ
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