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ドキュメントTokiko

2019
01.
28
ほろ酔いコンサート2018 東京公演2日目<前編>
【リハーサル、弾む背中】

「よし、じゃあアンコールにPower to the Peopleで行こう!」

リハーサルの時、ステージ後方の楽器の後ろにしゃがんで、歌うトキコさんの背中を見ていた。光溢れるステージからは暗く見える客席に向かい、すごく楽しそうに、でも挑むように弾む背中。明るいリズムに乗って歩きながら、くるっと振り返った時に目が合うと、マイクをぐっと突き出してニコっと笑った。トキコさん、絶好調の東京二日目だ。
【本番前は、ロビーで振舞酒】
初めての方のためにご紹介すると「ほろ酔いコンサート」ではトキコさんがほろ酔いながら歌うだけでなく、お客様も軽くほろ酔い気分でホールに入ることが出来る。毎年ロビーでは開場と同時に大関の樽酒が振る舞われ、ロビー内で頂くことができる。時々「呑めないけど、ほろ酔いコンサートには行きたい」という問い合わせがあるそうだが、未成年やお酒が苦手な方は呑まなくて大丈夫なので、心配なく参加してほしいとトキコさん談。

【本番!颯爽とモノクロのドレスで】
♪さびた車輪
♪18の頃
♪時代遅れの酒場

笑顔で手を振りながら登場するトキコさんは一気に3曲歌いきる。最初の三曲で既に客席へと降りていくトキコさん。ほろ酔い気分の客席も、一気に温度が上昇したように見えた。
そして間近に客席を見渡すと「・・・眺めがいいわ、みんな、見ごたえがあるお顔ね!」といきなり軽くジャブ。対する人生の歴史を重ねてきた方々は客席でどっと笑っている。

時代遅れの酒場では、間奏で口笛が入るところがある。トキコさんはマイク片手に口笛を吹きながら、目の前の男性とアイコンタクトしているように見えた。歌い終わると一人の男性の肩に手を置いて、
「あなた、今口笛を吹いてくれようとしたよね。思わずドキドキしちゃった!口笛を吹く唇の形って、キスの形と似ているのね!」
客席から大きな笑いが起こる。
「私が口笛を吹いたとき、同じ口の形してくれたから、一瞬、ここがコンサートホールだって忘れそうになったわ!」
会場に広がる笑い!みんなと一緒に大笑いしながら、こうしてトキコさんにいじられ、まるで一瞬の恋のような気分を味わうお客様もいるに違いない。

ほろ酔いコンサートは今年で46回目。
驚くのは、第一回の日劇ミュージックホールのコンサートからずっと毎年来ているお客さんが何名かいたこと。そしてもっと驚いたのは、今日生まれて初めてトキコさんのコンサートに来たお客さんが沢山いたこと!

ふと、トキコさんが「石原まき子さんからお花が届いていて、びっくりしました」
というと、石原裕次郎さんのために作った『わが人生に悔いなし』(作詞 なかにし礼 作曲加藤登紀子)を、アカペラで歌いだす。
~鏡に映る わが顔に グラスをあげて乾杯を
たった一つの 星を頼りに はるばる遠くへきたもんだ
(告井さんの伴奏がほのかについて)
長かろうと短かろうとわが人生に悔いはない~
しん、と聴き入っていた会場に拍手が広がり、トキコさんは一言「告井さんありがとう」。

もう25歳の三回目の誕生日を迎えようとしているというトキコさん。
「大関さんのお蔭ですよ。改めて、心から感謝して。乾杯!」
樽酒の話や色々、こんな話をしていると次の曲に行けないわ、と言いながら話の尽きないトキコさん。大関にちなんで、~酒飲みは、、、~(『酒がのみたい』作詞作曲Barton Crane, 訳詞 森岩雄)と歌いだすと会場がうれしそうに手拍子!「でも今日はやめます」と急に言われてまた客席は楽しそうな笑いで一杯になる。こうしてトキコさんのペースに振り回されながら、ついていく楽しさは、ほろ酔いコンサートならではかもしれない。
急に静かになって、
「今日は見ごたえのあるお客さん達の前で、例えばこんな雰囲気で、一回目の25歳を思い出してみましょうか」
といいながら、膝に抱くギター。優しいアルペジオが始まる。
♪ひとり寝の子守唄 ♪この空を飛べたら ♪Imagine 「今年は映画ボヘミアン・ラプソディーが人気ですね」
この歌詞は、(ママ僕は人を殺してしまったんだ、人生は始まったばっかりなのに、なんてことだろうか)という内容だという。
「これが胸に来るんですよ」
73年にこの歌が書かれた時、まだベトナム戦争中。戦争以外の色々な形で、そんな事態になることもある。でももう一つの意味は、あの頃は徴兵制度だったから、人を殺すことが正義だと言われ戦争に行かされた人もいる。それも歌詞の中に含まれているのかもしれないというトキコさん。
「今日はなんだかレベルの高い話が続くわね(笑)」
そんな話をしながら、1968へ。
♪1968
♪時には昔の話を

いつもと違う『時には~』の始まり方だった。ゆっくりとした指使いでポロポロとアルペジオ、ときには、、、むかしの、、、と一言一言、大切に伝えるような歌い方で、暖かく懐かしい、歌の情景が心に広がる。途中から告井さんのギターが重なり、暖かさが更に増していく。

歌い終わると何故かトキコさんも、何かいつもと違うという話をしていた。
「昨日と違うことは・・・今日のステージには、時計がおいてないのよ」
客席は、笑いながらざわめく。
「・・・好きなようにやれと!笑」
いつか、朝までやりたいと言っていたトキコさんがふと思い出された。
ほんとに朝まで歌ってくれたら、朝まで撮るのになぁ。

そして次の歌へ。1930年、世界恐慌の時代に出稼ぎでカリフォルニアに集まってきたメキシコ人たちを歌った、『Deportee』(作詞作曲ウディ・ガスリー)が続いた。

ある時、メキシコ人の不法労働者が強制送還される際、飛行機が山に墜落。不法入国者で名前は登録されておらず、枯葉のように散った彼らは名前も知られずに死んでいったね、という思いをウディ・ガスリーが歌にしたもの。

「いま、世界中に難民がいて、生き延びるために探し求めている姿を見て、改めてこの曲は大事だなと、思いました」
♪deportee
♪Now is the time

トキコさんの選曲や歌声には、世界のことを本当に大切に思っている愛情を感じる。
鳴りやまぬ拍手の中、笑顔で潔く出て行くトキコさん。

休憩に入ると、私はカメラを3台ぶら提げて、トキコさんの楽屋前で待つことにした。
第二部に向かう今日のトキコさんの空気感を、写真に収めたいと思った。
静かに集中してステージに向かうのか、あるいは笑顔で?待っている時間、わくわくした。
そして第二部に向かうトキコさんは、想像以上に可愛かったのでした。


【第二部がはじまる】
♪星の流れに
♪カチューシャの唄
♪悲しき天使
♪ラ・ボエーム


「ラ・ボエームを歌ったシャルル・アズナヴールが今年、日本の公演を最後に亡くなりました」
トキコさんのちょうど20歳年上で、2018年秋に94歳で亡くなったアズナブール。
「みなさんはラ・ボエームって知ってる?ボエームっていうのは、ボヘミアンなんですよ。流れ者、宿無し。元々は、チェコのボヘミア地方から沢山の人が出稼ぎに行ったので、あいつボヘミア地方からきたボヘミアンだよ、っていう呼び名が、いつか流れ者たちをさすようになったのね」

トキコさんは中国北部のハルビン生まれ。ハルビンは元々ロシアが作った街で極東のパリとも言われた。ロシア文化の影響を受けたこの街で、トキコさんは1歳8ヵ月で終戦を迎え、2歳8ヵ月の時にトキコさん一家は日本に引き揚げた。

「『悲しき天使』は元々はロシアの唄というのが嬉しいですね。ロシア革命が終わって沢山の人が亡命者となっていく中で歌われてきた歌だと知って、今歌っています」

でも、ハルビンを本当に自分の故郷を想ってよいのか?中学の頃悩んだという。
「今年はウラジヴォストク、サハリンに行きました。サハリンでは、終戦後日本に戻らず、ロシア人としてその地に暮らし、いまは沢山の美しい孫に囲まれた女性がいました。最後に、私は死んでからは日本人になれるだろうかと聞かれた時、本当に故郷って言うのは深いなあと思いました。答えることはできませんでした」

そこから、故郷を想う3曲が続いた。
ハルピンを歌った『遠い祖国』、古いロシアの唄『あなたに逢えたら』そして『ダニーボーイ』。

♪遠い祖国
♪あなたに逢えたら
♪ダニーボーイ

「色んな歌の物語を思っていると、自分が何歳だかわからなくなるよね。歌手って言うのは年齢を超えちゃうよね。私も大事に歌って行こう」

その後は近年のトキコさんのコンサートには欠かせない存在となっている、エディット・ピアフ、そして美空ひばりさんの歌が続いた。
♪愛の讃歌
♪終わりなき旅
♪百万本のバラ

『百万本のバラ』は曲の頭から客席は手拍子。
サビの部分は伴奏がなくなり、手拍子と歌声だけで、客席と一緒に歌うトキコさん。
ひとつの時間、ひとつの場所で、これだけ大勢の人たちがトキコさんの歌で一つになっている光景は、なんともいえない暖かさと、それぞれの生きている熱量を感じさせてくれ、レンズを通してなんとなく涙ぐんでしまった。


ドキュメントTOKIKO『ほろ酔いコンサート2018 東京公演2日目<後編>』へ続く・・・