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1994年 冬 模索の時代

sho05
 キャンパスは新人部員を誘うサークルの看板や呼び込みの声に華やいでいた。学生自治会のタテ看も所狭しと立ち並んでいる。
 東大駒場の生活がやっと始まったのだ。つい数日前まで肌寒さに身を縮めた風も、急にほかほかとした春のにおいに満ちている。
 けれど、校舎は陰気で、むっつり――。クラスは男子40人に対し女子7人、圧倒的にむくつけき男の世界だ。二浪の達人、五浪の仙人、十六浪のおっさんがいて、さすがに圧倒的な存在感。
「現役の奴等は人生の何たるかを結局経験できなかったわけだよな」
とうそぶいて、せめて一浪ぐらいしていないと存在を認めてもらえない。確かに現役組はいかにも子供っぽく見えて、女心もそそらない!
 まず私は五浪男と仲良くなった。「哲学者になるんだ」という彼は、相当の変わり者でほとんど誰ともロをきかない。暗いといえば闇の如し、深いといえば沼の如し、無垢といえば石の如し。2人の会話はあまりに形而上的で残念ながら恋に達する見込みはゼロだった。
 そんなある日、キャンパスに一段と明るい女子学生の一群を見つけた。「女子ボート部」、部長の尾鍋さんという人が、何とも魅力的な人で、ふわっと救われるような気持ちで入部を決めた。
 部員の数は少なく、新入生を入れても10人余り、練習用のシックスを出すのがやっとの状態だ。入部早々カルテに、身体のサイズをこと細かく測定し書きこむ。腕の皮下脂肪何ミリ。太もも、腹部の皮下脂肪何センチ!!
「1年間続けた人は、みんな確実にスリムになるわよ。頑張ってね」。
 そう言われて、大いに期待した。戸田ボート場に通い、タ焼けの中を悠々とボートを漕ぎ、挺庫の食堂で食事をしながら、男子ボート部の格好いい学生を眺めることができる。何と素敵なキャンパスライフだろうか。
 ところがなのだ。ある日、自治会活動をしている連中が現れて、ついに私は、あのうす暗い寮の一室に入りこむことになってしまった!
 安保闘争時代からの武勇伝がちゃんと伝わっていて、「なかなかやりそうな女の子が入って来たよ」というわけなのだ。
 別に後悔はしないが、あのままボートに精出していれば、きっとスリムな美人になっていたはずの私が、学生運動の中へやっぱり入ってしまって、あの汚さで有名な駒場寮の一室で日夜、ガリ切りの手伝いしたり、立看板書きをしたりする羽目になった。
 折りしも、政防法(政治活動防止法案)や大管法(大学管理法)に対する反対の動きが活発化していて、毎週のようにデモがあった。あの寮の暗さと不潔さと臭さは乙女には、いささか刺激が強かったが、はじめてデモに参如した時は嬉しかった。
「ああー 大学生になったんだあ」という喜びが一ペんに体中にあふれて、ずぶぬれになろうと、道路に打ち付けられようと、ゴボウ扱き(スクラムを組んで座り込んだデモ隊を警官が一人ずつひきずり出すこと)されようとも、全身のカで頑張れた。
 大きなカに向かってぶつかっていくこと、それが危険と背中合わせであればあるほど、心は燃え上がるもののようだ。薄暗い寮の中には、日常から遠くかけ離れた空気が充満していて、私にはそれがたまらなく、いとおしかった。
 大きなカに向かってぶつかっていくこと、それが危険と背中合わせであればあるほど、心は燃え上がるもののようだ。薄暗い寮の中には、日常から遠くかけ離れた空気が充満していて、私にはそれがたまらなく、いとおしかった。