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2000年 冬 さよならの春

sho23
 女としての夢をふくらませ、中東の旅から帰った私だけど、日本は吹きすさぶひどい深刻な春をむかえようとしていた。
 二月二十八日、雪。
 それは忘れもしない浅間山山荘事件の日だ。その日虎ノ門ホールでヴァイオリニスト千本馨子さんのリサイタルがあった。
 デビューしたばかりのころに出逢い、私のレコーディングのソロヴァイオリンを何曲も演奏している。71年頃から私のステージでのバッキングも引き受けてくれて、ずっと旅を共にした。このリサイタルにも創作曲をいっそyに仕上げたり、演出的なことを考えたり、私も深く関わっていた。
 朝からの雪でどうなることかと心配していたら、その日は浅間山荘のおまけがつき、会場にはわずかな観客しか来なかった。
 寒々としたその夜のステージを今もありありと思い出す。
 それから続く連合赤軍による内部的なリンチ殺人事件ほど、苦しい出来事はなかった。
 私や藤本のすぐそばにいた学生たちが信じられない閉塞状態に自らを追い込み、死へと向かったのだ。
 藤本は68年の一連の活動の裁判で4月末の結審が決まっており、それまで関わっていた仕事のいっさいから離れ、八王子の無相庵にこもっていた。そこは71年の秋頃から二人で通いはじめた陶芸の窯場。ここの主、寒河江善秋という人のそばで精神的にも政治的にもどん底の季節をなんとか乗り切ろうとしていた。
 山形県出身の寒河江さんは終戦後の農民青年運動を指導し、海外青年協力隊を提案したり、日本リクリエーション協会を設立したりというユニークな活動をしている人だった。     
 八王子に陶芸の窯を開き、九州鍋焼きの窯元の息子の家族と、唐津焼きの陶芸家の一家を呼び寄せ共同生活をしていた。
 人生を遊びと達観した彼のもとに、行きづまった時代の行く先を模索する若者たちが集まって来ていた。
 農業、陶芸、俳句、墨絵などすべてを遊び、この社会のどこにも所属していない一匹狼としての彼の生き方は、その後もずっと藤本と私の生き方の大きな目標となった。
 休みとなると私も無相庵に行き、泊り込むこともあった。夕方になるといつの間にか人が増えて、十数人で食卓を囲む。農業を目指す若者だったり、家出少年だったり、陶芸家の卵だったり、脈絡のない人間の集まりの不思議なにぎやかさがぽったりと暖かで楽しかった。
 ギスギスとした議論はなく、黙々と土をひねり、土のゆがみを笑い、土の力にふりまわされる「くらし」があった。同宿人たちのリーダーとして藤本は毎朝6時に起き、マラソンと体操をし、掃除、洗濯を陣頭指揮し、まるでお坊さんのような生活ぶり。徐々に近づく長い獄中生活への心の準備でもあっただろうか、髪もさっぱりと刈っていた。
 もうすぐ春が来る。
 それは決定的な別れとなるかもしれない春だというのに、彼は二人だけの対話からどこか逃げているように見える。なかなか取れない休みを必死で八王子に通っても、私は取り残されているばかりだった。
 張り裂けそうな淋しさをおさえきれず、ある夜ついに言ってしまった。「結婚しておいた方がいいんじゃない?」と。
 出逢ってから4年、何度かお互いの口から出た言葉ではあったし、まわりの誰もが当然のこととして受け止めてくれていた。なのに彼の答えは深長だった。
 「これから3年以上も娑婆から消える男がどの面下げてあんたのお父さんに結婚させてくれと言えるか。3年もあんたの自由をしばれないよ。出所したときにまたお互いにその気持ちがあれば、その時に結婚しよう。」
 正論だ。反論の余地はない。でも淋しかった。
 そのままただ時間が過ぎ、判決の日がいよいよ近づいた4月11日、渋谷公会堂でリサイタルがあった。前日のリハーサルで、中東の旅で出来た新曲をいくつか加え、プログラムが出来上がった。「色即是空」「ぺぺという男」それに旅に出る前から歌っていたユダヤの歌「トゥンバラライカ」「ライラ・ライラ」それにバルバラのシャンソンというしぶい内容だった。
 美しい歌たち。中東の旅で得た豊富な思い出があふれるはずの色鮮やかなプログラム。けれど、何かが欠けている。今の私の気持ちをまっすぐに伝えてくれる歌がない。
 もうすぐひとりになってしまう春。
 あんなに素晴らしかった夢が死んでしまった春。
 春の次にくる季節が何も見えない春。
 私は当日までひとつだけ歌を作る決心をした。
 その夜、藤本は久しぶりに私の部屋に来ていた。私は次の日のために曲を、詞を書かなきゃ、と思うのに、藤本は友達と酒盛りだった。下獄前の別れの酒盛りを交わす毎日が続いていたのだ。「まあいいから飲もうよ」と私もひっぱりこまれてついに歌は出来ないままになった。
 誰かに要求されたわけじゃない、自分で勝手に創ろうと決めただけなんだから、まあいいかと言い負かせ、私はコンサート当日を迎えた。
 会場入りしたみんなに「という訳で新曲はありません。」と言うと「えーッ??」と全員がのけぞった。瞬間、「大変なことになっちゃったなあ」と我ながら思い、途方に暮れてバックステージの暗闇にギターを持って逃げ込んだ。
 今の自分の本当の気持ち、何も考えずに出てくるありのままの言葉に身をまかせようと目を閉じた。困り果てた末にふっと出てきた言葉は「風に吹かれていたら・・・」ポツリポツリとつづく言葉をまさぐり、シンプルな歌がどうにか出来た。
 結局この歌をコンサートの最後にたったひとりの弾き語りで歌った。
 よりによって淋しい歌で幕を閉じることなってしまったその夜のコンサート。どんな思いが伝わったのか、全く分からない。
 ただ、淋しさをかみしめたその瞬間も今も思い出す。