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2001年 秋 結婚という出来事

sho25
 一九七二年五月六日、これ以上美しい日はないと思うほど晴れ上がった午後、私は中野刑務所のレンガ造りの面会室で、藤本と対面していた。 四月二十一日、別れを告げてから二週間余り、驚くほどやせた丸刈りの彼が机を間に数十センチのところにいる。仕切のない面会室で逢えたことはとてもうれしく、机の横に看守はいるけれど、生涯忘れないこの瞬間の静かな美しさをありがたいと思う。 すっかり修行僧のようになってしまった彼は、言葉少なく、さすがに神妙だった。「どうも」とか「ということで」というようなことの他に何を話したのか、今も思い出せない。 彼に結婚の意志を手紙で伝え、弁護士さんを通して彼の合意の返事を聞いたのはほんの二日前。結婚届の彼のサインはもう済んでいた。 たった二週間ではあったけれど、この間の出来事は今思えばどこへむかっていいか分からない止まった時間だった。 彼が下獄して間もなく私は、体の異常に気が付き、と同時に襲ってくるつわりに苦しんだ。誰も相談できず、容赦なく続く仕事をこなしながら、そのことを隠したまま、一人ベッドの中で泣く毎日だった。どう考えても産めない。仕事は一年先まで決まっており、結婚もしていない当の男は手の届かないところにいる。 誰かにうっかり相談すれば大騒ぎにもなりかねず、私は貝になっていた。ついにある日、姉に打ち明けた。彼女も無理だという私の想いに反論はしなかった。あれこれもなく、ただスケジュールを決め、病院に着いて来てくれることになった。 知り合いのつてで休みの日の午後、病院は無人。私だけの為に医師が待っていてくれた。 「忙ぐことでもないから、ちょっとゆっくりしましょうか。」そう言って奥の自宅の方へ案内して下さった。 そこには先生のお父さんがいらして、ゆっくり盃をあげていた。 「ま、一杯どう?」 私は一瞬体が宙に浮いたような気がした。 ふんわりと漂うようにその老人はこう言った。 「子はかすがいって言うでしょ?藤本さんのためにもお産みなさいよ。未婚だっていいさ。そんなことは大したことじゃない。」 その一言を聞いた瞬間、体の中のかたまりがふんわりと潤んだ。 そうだ。それしかない。それでいいのだ。一瞬のうちに答えは決まっていた。 言葉で言えることは何もなくて、私は黙って全身で泣いた。不可能だと思っていた理由なんて全てが取るに足らないことだと思えた。 止まっていた流れが一気に溢れ、全身を流れる。何て気持ちがいいのだろう?何もかもが明解だった。 暗く重い心が嘘のように晴れて、その日病院の門を出た時はスキップしたいような気持ちだった。 答えを見つけた私はすぐに行動開始だ。 翌朝早速、中野刑務所に逢いに出掛けた。三親等の親族しか面会が許されていないことを知っていたけれど、もう頭の中にはなかった。続柄の欄を空欄のまま面会届を出すと、係員が「内妻ですか」と聞いた。「えっ?それでもいいんですか?」と飛び上がるような気持ちで「はい、そうです」と答えた。 しばらく待たされて、やっと戻ってきた係官は「いやあ、本人はただの友人だと言っておりますんでねえ」と気の毒そうに私に言った。 「馬鹿っ」私は心の中で叫んだ。嘘でもいいから「そうだ」って言ってくれればいいのに。 冷静に考えれば当然だった。彼から私を「内妻」と呼べる根拠がなさすぎる。 でも、その瞬間、踊るように浮き浮きしていた私の心は再び打ちのめされた。 夜、私は彼に手紙を書いた。書いたって送れるわけじゃない。刑務所というところは面会だけじゃなく、手紙も親族にしか許されていないのだ。それでも書かずには居られなかった私は泣きながら書いた。 「結婚してあなたが私の中に残してくれた小さな生命を産みます。たとえ歌手がつづけられなくてもいい。未来にすべてをかけます。」 翌日、弁護士さんに電話をしたら、「面会室で手紙を見せることはできますよ。」と言って下さり、お願いすることにした。 五月四日きのうと同じ中野刑務所の門のところで私は弁護士さんと逢い、手紙を渡し、返事を待った。 面会を終えた弁護士さんはいともあっさり「彼は だそうですよ」と言った。 「それだけですか、他には何か?」 「いえ、別に何も言ってませんでしたね。」 男って何てつまらないんだろう。私はあっけに取られたような、もの淋しい気持ちになったけれど、そんなものかなと納得。とりあえず、これで結婚が決まったのだ。そして六日の日の特別面会の許可が下りた。 結婚予定者つまり婚約者として・・・ 「君は五月六日を覚えていますか、あれは君が面会に来て、お互い結婚を決めた日でした。なかなか愉快な結婚式で、神式でも仏式でもなく、言うなれば官式。机の横に立会人が一人。この日が僕たちの結婚記念日です。覚えておいて下さい。」 一枚の葉書が来たのはかなり経ってからだった。 「 」という返事と「ということで」というぎこちない言葉の他に何のメッセージもなく、私たちは結婚したのだ。 私の書いた手紙もひたすら一方的で、自分の気持ちと都合しか書いていないし、彼に反論の余地もなく、これってひょっとして略奪結婚だったかな、という不安が心をかすめないことはない。 求婚の言葉も愛の誓いもないのだもの。おおよそ感情の説明をしてくれない彼が、どんな想いで子供の誕生と結婚という重大事を受け止めたのか、その後何年もの間、私は一度も尋ねることが出来なかった。 三人の娘が生まれ、結婚生活に何度かの曲折があり、もう結婚にも薹が立つほどになったころ、ある会合で藤本はこんなことを言った。 「あの手紙を見たときの僕の気持ちはどんな言葉でも言い表せないような感情でしたね。『生きていていいんだ』と、生まれてはじめて全身でそれを実感出来た瞬間でした。僕のために生きてくれる人がいる。僕の子供が生まれる。すごいことでしたよ、これは。」 この言葉を聞いた時、涙があふれて困った。語り合ったことはたくさんあったのに、肝心のことは何も話せない。男と女ってそんなものかな。 さわやかな季節、すべてが新しくはじまった五月、体の中に大切な生命を感じながら、私がはじめて書いた歌がこの歌だった。 「生まれたばかりの魚のように はじめて知った水の冷たさ」