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2006年 冬 星空の啓示

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七九年夏、私は藤本のほか友人四人を誘ってモンゴルへの旅に出た。
 海外へ夫と出かけるのはこの時がはじめて。私はとてもとてもときめいていた。 けれど、彼の友人が一緒だったために照れくさがり屋の夫は、ちっとも新婚旅行の気分にはなってくれず、男同士の付き合いばかりに気を配っている。
 ちょっぴり不満の私だったけれど、この一週間余りの旅は、私たちに素晴らしい思い出を残してくれた。
 朝、北京から列車で出発、西へ西へと走り、夕暮れ時に、万里の長城を越え、内蒙古へ入る。真っ赤な夕焼けの中で見たモンゴルの原野。
 人の気配のない砂漠の大地に、この宇宙の不思議、地球の運命を見る思いがした。
 時折、土色の土地に、水の流れがけずりとったように強烈な亀裂が走り、決して平坦ではない荒涼の乾燥地をはじめて目にしたのだ。
 外蒙古=モンゴル共和国は、共産制時代で、物が不足しており、私たち旅行者への自由も大幅に制限されていた。
 けれど、モンゴルの人たちのおおらかさには、どこか、ユーモアがあり、私たち一行も存分にそれを楽しんだ。
 忘れられないのはゴビ砂漠での三日間。
 ウランバートルから飛行機で飛んだ私たちは、街から五〇キロも離れたゲルのキャンプに突然降ろされた。
 飛行機も何もないところに着陸したので、何だろうと思っていると、私たち六人だけを降ろし、飛行機は他の乗客を乗せたまま飛び立ってしまったのだ。
 それから三日間、見渡す限り何も見えない大平原のまっただ中、旅行者用の白いゲルが数十個立っているだけのこのキャンプで過ごすことになった。
 夕暮れは、地平線のかなたにゆっくりゆっくりと太陽が沈む。
 夜には、星の重みで、自分の体が押しつぶされてしまいそうなほどの数の星。
 ここで働く従業員たちは皆、気のいい連中で、のんべえの私たちに、こっそり、冷えたビールを出してくれて、はじめての夜からドンチャンさわぎになった。
 ドイツから来た旅行客の集団も、真っ暗な星空の下で、肩を組み、大声で歌い、酔っぱらっている。
 何か、人の世の束縛のいっさいから解放されたような何ともいえない気分。
 夜があけた翌日は、砂漠の中の砂漠を見に行く。
 バスは、三六〇度地平線に囲まれた荒地をだたひた走る。道路などはもちろんどこにもない。ただわずかに車のわだちの跡が砂の上に残っているだけ。
 ガタガタと上下にゆれて、体中がしびれてしまいそうなバスの中に、運転手のうたう歌声がひびく。
 あんまりいい声なので、バスを停めて歌を聞こうということになり、運転手にそうお願いすると、「いや、私は歌なんか歌ってないよ」と言う。
 「確かに今あなた歌ってましたよ」と言っても「歌ってない」と言い張るのだ。
 そして再びバスを走らせると、またやっぱり歌い出す。どうもモンゴルの人は、馬に乗る時と同じように運転すると無意識のうちに歌い出してしまうものらしい。
 なにもない荒野に、時折、野生の馬やらくだの群れが現われる。
 その自然な姿がとにかく美しい。
 遠いかなたに不意にキラキラと水辺が見える。それが蜃気楼だ。
 何時間も走り、やっとほんものの「砂漠」に着いた。
 白い砂が大きな山となり、波打つような風紋がどこまでもつづいている。
 砂の上に立つと、何故かすべての音が消えた。
 自分の鼓動の音と呼吸が体の中にひびく不思議な感覚。
 われら六人は、みなそれぞれ思い思いの場所でこの無限の世界に浸った。
 その夜、酔った私は天女の如くヒラヒラと宙に舞い、藤本と二人、キャンプの柵を超え、真っ暗な世界をさまよった。
 旅行に出てはじめて、二人だけの時を持ち、満天の星の下で抱き合ったこと、今もありありと思い出す。
 ゴビのキャンプを去る時、所長さんが馬頭琴ですばらしい演奏を聞かせてくれ、従業員のみんなが好きなうたを歌ってくれた。
 その時、私もモンゴル語で覚えたのが「エージデー母よ」
 今も私の秘蔵のうたのひとつになっている。
 星空の啓示を受けたように、翌年四月、三女美穂が誕生する。
 七九年の年末のほろ酔いコンサートは、妊娠七ヶ月の私が、日劇ミュージックホールでうたう最後のライブとなった。