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2008年 秋 『居酒屋兆治』の夏

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 高倉健さんの妻の役で、映画出演の話が突如舞い込んだのは一九八三年のはじめ。健さんの大ファンだった私はとにかくびっくり。
「健さんには、もっとふさわしい女優さんがいらっしゃるでしょう」と必死のお断りをした。
すると数日後にプロデューサーがわざわざ事務所に来られて、こう言われた。
「登紀子さんには、女優としてではなく、登紀子さん自身として出演していただきたいんです。」
何と、ありがたい、すごい話。何が求められているのかよくわかったわけではないまでも、何かやってみるかという気になり、お引き受けした。
『居酒屋兆治』。ロケは函館の市場のシーンから始まった。
ドキドキしながら前日の夜、函館のホテルに入ると、部屋に健さんからの花が届いていた。何か健さんの声が聞こえるようで、しみじみうれしかったことを今も覚えている。
こうした心配りは、まさに完璧で映画の隅々に健さんの想いが感じられた。 市場のシーンでは、健さんとのセリフのやり取りはなく、その翌日、函館の近くの丘の上にある自宅前で、いよいよ二人だけのシーンの撮影だ。
自転車で出かけていく健さんにふたことみこと言葉をかけるだけのカット。でも、待つ間も健さんと二人だけなので、つい緊張しセリフの声もちょっぴり上ずったような気がした。撮り終わった後に、
「ちょっとセリフのキーが高かったですよね」 と反省していると、健さんが、こんなことおっしゃった。
「登紀子さんは、この映画のラストに『人が心に思うことは誰にもとめられない』というセリフがあるでしょう?あの言葉を言うために、この映画に出演してるんですよ。ほかのことは何にも気にしないで、気楽に遊んでて下さい。」
演ずるということに、あれこれ頭を悩ましていた私には、気が抜けるほど、素晴らしいサジェスチョン。健さんの「芝居」の奥義に触れる想いだった。
「女優としてじゃなく、登紀子さん自身として」というプロデューサーの言葉とも重なって、この役を、あっさりと受け止めることが出来るようになった。
いつ思い出してもなつかしいのは、健さんがケンカか何かで留置場にぶち込まれた時、警察署に迎えに行くシーン。
よりによって、その日は夏祭りのおみこしが交差点でワッショイワッショイ、大騒ぎをする日、という設定。大群衆とおみこしと、警察署と私、というスペクタクルの大ロケーション。おみこしに阻まれて、警察署のこちら側の交差点でぼんやりたたずむというだけの芝居。
そしていよいよ、警察署から出て来た健さんと腕を組んで、運河の道を歩いていくロングショット。何だか緊張して、心臓がドキドキ。この時間が結構長くてなかなか「カット」の声がかからない。途中で、つい深いため息が出た。
すると、健さんが低い声でそっと、 「思い出すんですか」 とおっしゃった。
「ええ??」 思わず私は驚きの声を上げそうになった。
健さんは、私が夫の藤本敏夫を拘置所や刑務所に訪ねていっていたことなどを、このシーンの間に考えていらしたのか。
私はただ、健さんと腕を組んでいることに夢中になっていただけだったのに。 東京に帰ってスタジオ撮りに入る前の一日、日比谷野音のステージにも健さんがゲストとして出演して下さった。
スタジオでのいくつかのシーンが何日かあり、いよいよ、問題のラストシーンを撮る日、スタジオの扉には「本日の撮影は部外者立ち入り禁止」の札がかけられ、いつも雑然としているスタジオ内もきちんと片付けられて、スタッフが整列して私を迎えてくれた。
ラストシーンにかける意気込みがすごいんだなあ、と改めて感じた。 閉店後の店の中で帰り支度をしている私に、
「すまなかったな」 と健さんの声がかかる。
「えっ?」とふりかえり、一間あって、
「いいのよ。人が心に思うことは誰にもとめられないもの」 その瞬間に
「カット!!OK」の声があがった。
大事なシーンだから、何回も攻めるのかしらと思ったら、一回だけの本番。
健さんとの映画は一生に一度だけの貴重な経験。
一部始終が今もなつかしい。