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ドキュメントTokiko

2018
01.
29
ほろ酔いコンサート東京 ツアーファイナル 2017年12月27日 Tokiko’s Birthday ー①ー

◆師走のほろ酔いコンサート
 

東京のほろ酔いコンサート、45周年。
1971年に、お酒付きのコンサートを日劇ミュージックホールで始めたトキコさん。
若き日のトキコさんと、ホール一杯のほろ酔いのお客様。今は消防法等様々な規制があるが、当時ホールのキャパ以上の人が入っていても、無事にコンサートが行えたりした古き良き穏やかな時代。その頃のほろ酔いコンサートの様子を見てみたいと思うのは、私だけではないだろう。
映像は残っていないが、1973年の音源が奇跡的に残っていて、先日発売された5枚組「超録ほろ酔いコンサート20世紀編」の中で聴くことが出来る。ライブ音源というのは、まるで今目の前でそれが繰り広げられているような生々しさがあって不思議だ。自分が生まれる前のコンサートなのに、トキコさんがそこにいるからか、なぜか懐かしい。若くてユラユラしているような瞬間もあるし、やっぱり今と同じ、器の大きくて豪快なトキコさんだなと思うこともあった。30歳の歌声で聴く「愛の暮らし」もまた、とても優しかった。

そして今年も、師走。良いことも悪いことも、人間ごと、まるごと肯定してくれるような、トキコさんの大きな温もり。そして暖かいお客様とのやりとり。そんな景色を楽しみに、今年もカメラバッグを提げて、よみうりホールのドアをくぐった。


◆第一部 「男と女は近づくことが大切!」
  

エレキギターを肩にかけ、颯爽と真っ赤な衣装で登場したトキコさんに、客席は一気に熱を帯びる。その笑顔が眩しくて、レンズを覗きながら幸せな気持ちでシャッターを切る。

♪Freedom
♪向こう岸へ

「今日は東京のほろ酔いコンサート45周年ということで、皆さん本当にありがとう!
忙しい年末の日、ようこそおいで下さいました!まずは一杯。大関さんありがとう!」
杯を高く笑顔で掲げ一気に呑み干すと、客席からは「おお!」という大きなどよめきと歓声があがる。

「・・・おいしい!じゃあ歌行こうか。人生に乾杯!(客席と告井さん「カンパーイ!」)、出会いに乾杯!(乾杯!)別れにも乾杯(乾杯!)そして今日の日に乾杯!(乾杯!!)」

♪百歌百会

歌い終わったトキコさんはお酒の酔いが感じられない爽やかな笑顔で、客席を包み込むように笑った。
「幸せ者ですよね。今日のお酒は特別美味しかった!臓腑に沁みわたるこの瞬間がいいよね!」
コンサートの頭に、まずは一気呑み。トキコさんはいつも、後日色んな人に聞かれるという。(あれはほんとに呑んでいるのですか?)と。
「私は正直者ですから、嘘はつけないんですよね!そういえば最近、お客様から問い合わせで「自分はお酒はのめないのですが、行ってもいいんでしょうか」って!そんなの・・・来ていいに決まってるじゃない!!(笑)」
客席で、ドカンドカンと笑いが爆発している。トキコさんは客席へと降りていく。

「今年、5枚組の超録ほろ酔いコンサートっていうのを出したの。
最初の頃の日劇ミュージックホールに来たことあるっていう方いらっしゃる?」
ちらほら手があがり、客席からは感嘆のどよめきが聞こえる。
「今日は皆さん若いから(笑)、日劇ミュージックホールなんて知らないよね。ウフフ。
ではなぜ、”ほろ酔い”コンサートだったか?」

そう問いかけを投げるとおもむろに、トキコさんは朗々とアカペラで歌いだした。誰もが聴いたことのある、力強いあの酒の歌。

♪酒は大関

「白い花なら百合の花
人は情けと男だて
恋をするなら命がけ
酒は大関心意気(トキコさんがマイクをかざし、ここだけ客席が大合唱)

赤い花なら浜なすの 
友と語らん故郷(ふるさと)を
生まれたからにはどんとやれ
酒は大関心意気(トキコさんと客席、一緒に)」
(※「酒は大関」作詞作曲:小林亜星)

「この歌がきっかけでした。アッハッハ!」

豪快に笑うトキコさんが次の瞬間、目の前の男性のお客様の顔を覗き込んだ。
「あなた、ちょっと難しい顔しているのかと思ったら、そうでもなかったわね(笑)」
言われた男性や周りのお客様は嬉しそうに笑っている。

客席に降りる歌手の方々でも普通、行かない近さの距離まで、トキコさんは時々自然にすっと入っていく。歩くのは通路だけではない。客席の足元のスペースを、映画に遅れた人みたいにカニ歩きで奥まで入って行ったりする。更には、ふとカメラの操作等で目を離したすきに姿が見えなくなり、慌てて目を凝らすと空いている座席の上に雄々しく立ち上がっていたりする。トキコさんは予測不能、目を離しては、いけないのだ(笑)

「男と女の関係は、近づくことがまずなによりも大事。男の人ってちょっとバリアを張っているようにみえることってあるでしょ?でも、もうこの距離になると全部崩れるからね(会場爆笑)!あなたね、ちょっとバリアを張ってるように見えたの。だから、ちょっとここに、来てみたの(ニッコリ)」
そんな可愛らしい会話を聴きながら、客席は歓声と拍手に包まれる。

この日は森繁さんの息子さんが客席にいらしていて、トキコさんに促されるままに立ち上がって深々と暖かな笑顔でおじぎをした。

♪知床旅情

客席全体でのゆったりとした力強い合唱となった。
時折、歌詞を教えるトキコさんの声がフライング気味に凛々しく響き渡る。
「はまなすの!(客席:浜なすの咲く頃~♪)」
「おれたちの!(客席:俺たちのことを~♪)」

まさかと思ったが唄の後半、あっという間にトキコさんが空いている座席の一つによじ登ってしまった!目の前の男性の手をしっかりと握りしめたまま、暗闇に独り立ち、ゆったりと歌う知床旅情。それがまた、なんともいい光景なのである。

「去年もね、ここに上がって、スタッフにものすごく怒られたの!(会場爆笑)
危ないから絶対やめてくださいって。でも、そう言われるとやっちゃうの!!」

「・・・ね。何をやっても許されるのが、ほろ酔いコンサートなのよ」
トキコさんが若い頃のほろ酔いコンサートでは、客席でも酔っ払ったお客様が色んなことを言ったりしたりで、今より更に自由度の高い、それはすごい状況だったらしい。
「もう散々な目に色々あってきたからね(笑)これはいま、仕返しをしてるのよ!!(客席・トキコさん共に爆笑)どうぞそんな場所ですので、お好きにして頂いて大丈夫です。
ここにいるとお顔が間近に見えて嬉しいんだけど、少し上で仕事してきます(笑)」

スタッフの手を取ってステージに上がるトキコさんに、客席の男性から「可愛い!」の声があがり、トキコさんは恥ずかしそうにニっと笑った。

♪時代遅れの酒場

78年のほろ酔いの時に日劇ミュージックホールで会場にいた河島英五さんに飛び入りで歌ってもらった思い出を、懐かしそうに話す。河島英五さんが上がってくる瞬間、身体の大きな英五さんの陰にすっぽりと包まれて、あの瞬間ならキスもできたかも、と笑っているトキコさんはいたずらっ子のようである。

♪酒と泪と男と女
♪生きてりゃいいさ

~喜びも悲しみも立ちどまりはしない めぐりめぐってゆくのさ~
(※「生きてりゃいいさ」作詞作曲:河島英五)

暖かな歌とギターの余韻に浸るまま、静かに「ひとり寝の子守唄」へ。
途中から韓国語バージョンへと移行し、私は撮りながら、その独特の響きの美しさにハッとする。

♪ひとり寝の子守唄
~ホンジャスチャルペーヨ。。。~

90年にソウルでコンサートをしたトキコさん。留学生が翻訳してくれた「ひとり寝の子守唄」を歌ったのを思い出して、韓国語で歌ったのだという。

「同じ歌でも日本語で歌うのと何か違ってね。大きな悲しみが被さってくるようで、たまらなかった。私はつくづく、戦争の終わる1年8か月前に自分が生まれたことは、すごく大きなことだなあと思います。それは私の原点ですね」

トキコさんが以前韓国で「鳳仙花」を歌おうとした時、韓国人記者の人に「これは抗日歌だから日本人には歌ってほしくない、韓国の人は歌うことを許さないだろう」と言われ、とてもショックを受けたという。結局、許すか許さないかは歌を聴いたときに感じてほしいと告げて一生懸命に歌った。歌い終わった後、記者に感想を問うと「ちょっと韓国語が上手じゃなかった。次は是非、正しい韓国語で歌ってほしい、教えるから」と言われたことがとても嬉しかったそうだ。


♪鳳仙花

ギター一本での鳳仙花。最後の指が弦を離れると同時に会場は割れんばかりの拍手に。
政治や民族の違いの前で、歌の持つ力は計り知れない。歌うトキコさんを撮影しながら、そう思う。違いの枠にとらわれず、一人の人間対人間として、まっすぐ向き合おうとするトキコさんの根本的な思いが、歌声の中に滲み出ているから、相手にも届くのだろうか。

ちなみに抗日歌として歌われるようになったこの「鳳仙花」も、元々は日本に留学し音楽を学んだ韓国人作曲家が純粋に音楽として作ったものだったという。彼が亡くなった後、その追悼をきっかけに、抗日の歌として歌われるようになったそうで、歌の背景は様々だ。

♪生まれた街
♪あなたが行く朝

「2017年1月2日に母が101歳で他界しました。その母が言っていたこと。人と人はみんな1対1で会えばいい。そうすれば国は関係ないのだと。この考えは私の中で大きな生き方の指針になりました。これは母自身の、終戦前後の体験から刻まれた、本当に命がけの言葉だったと思います」
終戦直後、ハルピンには多くのソ連兵が入ってきた。彼らは、見るとボロボロの身なりや靴をしていた。トキコさんのお母様はそんな彼らに「そんな靴で、あなたは一体どこから歩いて来たの、あなたの家族は今どこにいるんだろうね」と話しかけ、兵士たちは涙を流し、次に来た時には赤ちゃん用(トキコさん用)にビスケット等を持って来てくれたそうだ。

この話は、トキコさんの「鳳仙花」のエピソードとも通じるような気がした。政治や国や文化の違いの軋轢の中でさえ、心を開いて同じ人間として語り、ついに心が相手に届くというスタンスは、お母様から脈々と受け継がれているものなのかもしれない。それはどんな状況下でも人間の本質を信じることでもあり、優しさであり、同時に究極の強さでもあるような気がした。
ステージ上で、歌うトキコさんの豪快さの中に、時折見え隠れする切なさと静かな愛情は、内包するこの優しさの表れなのかもしれない。

そして一部の最後は、今年トキコさんが作った作品。山田かまちの詩に曲を付けた一曲。

♪生きる

 
 
『ほろ酔いコンサート東京 ツアーファイナル 2017年12月27日 Tokiko’s Birthday』②
へつづく、、、



写真と文:ヒダキトモコ