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Tokiko Now

2023
03.
23
優勝おめでとう! 侍Japan!

決勝の日、22日は朝7時に起きて、洗濯、朝ごはん、後片付け、全部済ませて8時からの試合開始を待ちました。

 序盤から見事な試合。9回表の大谷選手のピッチング。ゲッツーの瞬間には、ひとりで雄叫びを上げてました。

 本当に素晴らしかった今年のWBC。たくさん声を上げさせていただきました。ありがとう!

 

 先週末はその大谷翔平さんの出身地、岩手県奥州市でコンサートでした。どうしたって熱く盛り上がるしかないでしょ?

でもどうしたことか、特別寒い日になり、その午前中、めんこいテレビの朝の生放送に出演した時には雪まで降りました。

 この町の出身者である後藤新平さんの記念館から番組はスタートし、その後、後藤新平の生家へ場所を移して、「今どこにいますか」の弾き語りをした時、まさかの雪。凍えそうになりながらの歌は、12年前の311の頃を十分思い出させてくれました。

 

 岩手県の山田町、釜石、大槌町、陸前高田、大船渡、2011年の4月に歩いたことを思い出します。「今どこにいますか」は東日本大震災の被災者のために作った歌でしたが、今歌うと、遠いウクライナや、地震にあったトルコ、シリアの人たちのことが浮かびます。本当に大変なことが続いています。

 

 奇しくも今年は1923年の関東大震災から100年、後藤新平さんはその復興プランを指揮した指導者でした。

 後藤新平さんと私のご縁も本当に深くて、1929年、父が満州のハルビン学院に入学した年、学生たちの壮行会に出席した後藤さんが、数日後に72歳で亡くなった、という偶然があります。後藤さんの孫の鶴見俊輔さんが、同志社の学生だった私の夫、藤本敏夫のゼミの先生。お会いするたびに「あなたのお父さんは僕の祖父が最後に送り出した学生でした。」と懐かしそうに言って下さり、藤本のことも特別可愛がっていただいていたので、遠い人とは思えません。

 

 めんこいテレビで「後藤新平のいない日本」というドキュメンタリー番組のナレーションをさせていただいたことで、このご縁はさらに深まり、このコンサートでも番組の一部を見ていただきました。

 

 奥州市文化会館Zホールでのコンサートは、ウクライナ支援チャリティコンサートとして開催され、幕開きに岩手県に避難しているウクライナの女性とその双子の息子さんが紹介されました。

 二人の少年が、日本での滞在を元気に乗り越え、実りに繋げて行けることを祈る気持ちでいっぱいです。

さて、帰京したその翌日19日の夕方には、東京の神保町の文房堂で、JIM-NET主催のイラク開戦から20年のシンポジウムの配信があり、鎌田實さん、湯川れい子さん、イラクの専門家、酒井啓子さんと私で、熱い時間になりました。

 JIM-NETは、イラク戦争でアメリカが撃ち込んだ劣化ウラン弾で被曝して白血病などで亡くなっていく子どもたちを助ける活動をしてきました。

 去年私の制作したウクライナ支援CD「果てなき大地の上に」の売り上げを届けている「日本チェルノブイリ連帯基金」のグループです。

 

 今朝23日のニュースでは、イギリスがウクライナに劣化ウラン弾を提供する、と表明。人体に対する影響はない、と説明されていたのがショックでした。

 岸田首相のウクライナ訪問で、日本の立場も鮮明になり、今後がどうなっていくのか心配です。

 

 19日のシンポジウムは、ウクライナの戦争の終結を願い、戦争のない世界に向かう道を探る、貴重な対話になりました。

 難しそうだけれど、何としても平和への道を開かなければならないと思います。

 

 そしてその翌日は、長野県の飯田からさらに入った阿智村の満蒙開拓平和記念館で321日から開催される「一九四六展」の会場で、中国から来日中のこの絵の作者、王希奇さんとお会いしました。

この絵の前で、私の「果てなき大地の上に」を聞いていただきたくて、ギターを持っていったのです。

取材の方もたくさん、集まって下さり、翌日のオープニングセレモニーにも、開館を待ち構えた一般の人も、ごった返すほどの人が集まり、この絵に描かれた満州からの引き揚げに関係のある人たちのお話もたくさん聞けました。

 

 なんと凄い1週間だったことでしょう。

 反戦の思いが私の周りに渦巻いているような密度の濃い毎日。世界の指導者たちにも是非停戦への行動を目指してほしいです。

 

 さあ、今週末3/25は茨城県のコミュニティセンター城里でのコンサートです。

 タイトルは「果てなき大地の上に」。後藤新平記念館、JIM-NET、満蒙開拓平和記念館、と私の心に満ちる思いをこのコンサートに込めたいと思います。

 是非、会場でお会いしましょう!