Tokiko Now
10.
鴨川の収穫祭の日に始まったハマスのイスラエル攻撃が、ジョージアへの出発直前にイスラエルからの本格的なガザへの反撃という大変な事態に突入してしまって、大きな衝撃の中で旅立ったのでしたが、ジョージアへの私たちの旅は、何の支障もなく、無事3つのコンサートを終えて帰国することができました。
帰国後にその間の詳しい状況を知り、フランスなどでも何箇所も爆破予告の混乱があったなど、ゾッとするようなことがあったとわかりました。よくぞ、この旅行が実現できたものだと、胸を撫で下ろしています。
ジョージアは北の国境でロシアと接しており、南はアゼルバイジャン、アルメニアに接し、西は黒海に接し、すぐそこにクリミア半島がある、言うなれば紛争地帯の中心にあるわけですが、なんだか台風の眼の中にいたのか、と思う不思議な気持ちです。
本当にうっとりとした御伽の国にいるような美しい街並みで、人々の表情も明るくて力強く、若者たちのワクワクした表情が印象に残る旅でした。
14日には一番古い都、ムツヘタ市での宗教祭に出演。
街の中央広場に作られた特設ステージに、熱狂の中で迎えられました。私のステージの前には、ジョージア独特のコーラス、ポリフォニーの感動的なアカペラコーラスがあり、美しい衣装で激しく踊るジョージアンダンスのパフォーマンスがあり、
その熱気の残る客席。
日本語で歌っているのに、熱心に聴き入ってくれる人々。ステージに上がって抱きついてくる少女。
「愛の讃歌」「さくらんぼの実る頃」そしてもちろん「百万本のバラ」、、。
ギターの弾き語りで私がジョージア語と日本語で歌ったジョージア民謡「スリコ」には地元を代表する男性11人のポリフォニーグループがコーラスで加わり、「トビリソ」も大合唱になりました。最後は、私のオリジナル曲「乾杯」でノリノリのフィナーレでした。
この興奮は翌日、首都のトビリシのコンサートでも再現されました。
街のセンター、独立広場に隣接した178年の歴史のあるグリボエドフ劇場。800人近い客席には、音楽関係の人や文化人、日本に興味にある若者など、いっぱいの人たちが食い入るように聴いて下さり、日本語でも伝わる音楽の強味を感じました。
日本から行ったピアニスト鬼武みゆき、ヴァイオリニスト渡辺剛に、ジョージアのチェリストが加わり、「紅の豚」のテーマ「時には昔の話を」には大きな拍手があり、コンサートの中盤にゲスト出演してくれた地元のコーラスグループ(合唱団やまびこ)も日本語でジブリソングメドレーを披露してくれました。
ジョージアの若者の中に、日本語熱が広がっていて、みんな日本語で歌うことが嬉しそうでした。
この旅では、「百万本のバラ」をその主人公のニコ・ピロスマニの国ジョージアで歌うことが重要なテーマでしたが、ウクライナにロシアが侵攻したことへの抗議の意味で、若い人たちに「百万本のバラ」への抵抗感があり、彼らとは一緒に歌えなかったのでした。それは大変ショックで残念でしたが、この歌を、どんな時も愛を貫き、自由と独立を掲げる勇気を、という意味で歌ってきた。今こそ、戦争を一刻も早く終わらせるために歌うのよ、とメッセージを伝え、私が日本語で歌った「百万本のバラ」には、大きな拍手が沸き起こりました。
17日に歌ったのは、そのピロスマニの生まれ故郷シグナギの劇場。ここでも私は、丁寧にこの歌への想いを伝え「百万本のバラ」を歌いました。熱狂してくれた人が立ち上がってこんなことを言ったのです。「今日初めてこの歌を聴いたようだった!これまで聴いていた『百万本のバラ』じゃない、新しい歌、感動したよ!」って。
もちろんどこの会場でも「スリコ」と「トビリシ」は大喝采。最後の「乾杯」は大合唱になりました。
いつもロシアとの微妙な駆け引きの中で生きていかなければならない小さな国。でも8000年前から自慢の葡萄を作りワインと世界に誇ってきた文明発祥の地。長い歴史の中で、ギリシャ、ペルシャ、トルコの影響を受けたその地層の深さを、何より誇りにしてきたジョージアの魅力をたっぷりと味わう旅になりました。
この国の平和が脅かされることのないように、祈りたいです。
ウクライナとロシアの戦争の終結、イスラエルのガザの攻撃の一刻も早い停戦を心から願っています。
帰国の2日後には新潟市の新潟市⺠芸術会館りゅーとぴあで、小児がんチァリティコンサートがありました。りゅーとぴあを埋め尽くした観客席の熱度の高さに驚き、精一杯歌いました。いい出会いがいっぱい!
新潟の人たちの迫力に大きな拍手を送りたいです。