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ドキュメントTokiko

2024
02.
05
加藤登紀子60周年記念パーティー@ビルボードライブ東京~①

~19歳まであと10年!~

六本木ヒルズの中にあるBillboard Live Tokyo。10年前の50周年記念パーティがここで行われたのが昨日のことのように思い出される。
開場前から多くのお客様がロビーに集まり、所せましと立ち並ぶ色とりどりの豪華な花を見上げる人たちも多い。


会場に入ると、ステージ上の大きなスクリーンには、トキコさんの50年間の様々なステージを映した動画が流れている。どの瞬間もトキコさんの表情は輝き、生命力に溢れているのが画面越しにもわかる。
楽しそうなざわめきの中、目を凝らせば多くの招待客。事務所オフィシャルフォトの私とオフィシャルムービーの2名が朝から場所を確保している中央席の左側には、あとから取材のテレビ局のカメラマンさん達がずらりと並んだ。そんな中、おもむろに明るく耳なじみのある一曲『愛の讃歌』のイントロが始まり、トキコさんが拍手と共にステージへと姿を現す。

♪愛の讃歌

大きな拍手に会場全体が包まれる中、司会の村上信夫さんの美声でパーティは始まった。
村上さん「今日は加藤登紀子さんの歌手生活60周年記念パーティにお越しいただきましてありがとうございます!」


するとおもむろにトキコさんがマイクを握る。

「今日がエディット・ピアフの命日なの!10月10日。私の父と母が結婚式を挙げたのも10月10日なの。さらには私の母はエディット・ピアフと同い年なんです!以上です!(笑)今日はありがとうございます!!」

もう少し追加で皆様への挨拶があるのではと思った村上さんが、遠慮がちにトキコさんに確認する。
「一応皆さんへのメッセージを頂いても宜しいですか?」

するとトキコさんが笑顔できっぱりと「私のメッセージは以上です!」といい、会場は楽しそうな笑いに包まれた。
おそらく事前の打ち合わせでは違う進行の予定だったのかもしれない。
村上さんは困ったように笑いながら、
「全く予定通りにいかない、行き当たりバッチリな感じですけれども・・・(笑)司会の村上信夫でございます・・・さあそれでは、ファッション界と音楽界のそれぞれのレジェンドを舞台にお迎えしようと思います。湯川れい子さんとコシノジュンコさん!コレ言ってもいいかなあ?会場で、たぶん、加藤登紀子さんより年上は、このお二人だと思います(笑)まずは湯川さんからお願いします」

ここからは湯川れい子さんとコシノジュンコさん、トキコさんが一列に並び、まるでスピード感のある漫才のような掛け合いが楽しかったので、そのままご紹介します。

湯川さん「今日、皆さんにお土産に頂いた本、『「さ・か・さ」の学校』に81歳だと18歳になると。私は88だから、逆さにしても88。面白くないのよ!でも本当におめでとうございます」

トキコさん「なんとなくこの数年、この3人で徒党を組んでいると周りが恐ろしがって遠のくっていう。私にとっては用心棒のような!怖いものがなくなる素晴らしい仲間です」

湯川さん「私は、よそでは、サンババトリオと言ってまして・・・」

コシノさん「何よあなた、勝手に言わないでちょうだい!」
会場は爆笑に包まれる。

湯川さん「トキコさんは、もうとにかく日本のピアフさんよね」

トキコさん「10年たつと、れい子さんにとってはもうすぐですが、91になると19歳になるから、そこまでは頑張りましょうね」

湯川さん「あなたトシの話、好きね。皆さん、高齢になってもスニーカーなんて絶対はかない方がいい。足元を油断しちゃうの。だから91歳でもピンヒール履こうと思っていると丁度いい感じです!私の好きな歌手といえばプレスリーやビートルス等沢山いるけれど、尊敬している歌手ってそういるものじゃないのよ。トキコさんは本当に尊敬する歌手。60年歌っているだけで凄いけど、あの素晴らしい歌詞や作曲を作る。いま日本訳詞家協会の会長です。訳詞されたものを本当に大切に扱って頂いているという点からも、心から尊敬しております!!」

コシノさん「いまウクライナが大変な時ですけれども、百万本のバラを、ウクライナのためにも世界に広めてください。お元気で。私もがんばりますので。まだまだよね。おめでとうございます!!」

客席の皆さんの座席には事前に布製の袋が配られ、その中にお土産としてトキコさんの新刊」が入っているという。


トキコさん「皆さんに渡そうと思って『「さ・か・さ」の学校』を今日に間に合うように印刷したの。まだ世界は古臭いことばかりやっているでしょう、戦争とか。砂時計っていうのは、誰かがひっくり返さないと新しい時を刻めないのよ!みんなでひっくり返すための本を作りました」
そう言いながら、その本のきっかけを作ってくれたのだという、ロックバンドBRAHMANのボーカル、TOSHI-LOWさんをステージ上に招いた。

TOSHI-LOWさん「今年、自分の息子が高校を卒業するのですが、卒業前に学校が(学生たちのために)学者や有名人を呼ぶというのがあって、最後にPTAの仕事をお願いしたいと言われました。僕はそういうのはやらないので、と断ろうとしたら(僕ではなく)加藤登紀子さんを呼んできてくださいと言われました(笑)!その時のお話ですよね」

トキコさん「その時にあなたが大関の歌を歌って下さって素晴らしかったので、今日はとにかく、60年というのと・・・」

そう言いかけたトキコさんにTOSHI-LOWさんが割って入り、今度はTOSHI-LOWさんとの軽やかな掛け合い漫才が始まった。

TOSHI-LOWさん「ところで学校でお酒飲んじゃいけないんですよ。本当は。」
トキコさん「飲んでたっけ?」
TOSHI-LOWさん「飲んでたじゃないですか!ワンカップ持ってきたじゃないですか!(笑)」
トキコさん「ワンカップ大関の60周年と、私の60年が重なっているのですよ。60-60。だから、大谷翔平を超えているということね。というわけで、ここで大関の歌『酒は大関』を歌いたいと思います!」
TOSHI-LOWさん「その前にYaeさん呼ばなくていいんですか?」
トキコさん「あ、そうそう」
TOSHI-LOWさん「忘れないでくださいね(笑い)」
トキコさん「Yaeは『酒は大関』の歌の後継者として歌っています。今日は3人で歌います!」
Yaeさん「次女のYaeでございます。半農半歌手をやっています。今年は米騒動がありましたが、コメは日本人の神髄ですね。今日はお酒飲んでいいので皆さん飲んで下さいね!」
TOSHI-LOWさん「Yaeさんは、なんとリハーサル来なかったんですよ。信じられないですよ。親の顔が見たいです(笑)」
トキコさん「そう!こんな大事な日のリハーサル来なくても大丈夫、大丈夫っていってるような娘です。でも今は『さかさの学校』なんで、親には一切責任はありません(笑)」

ツッコミを担当していたはずのTOSHI-LOWさんはトキコさんに、気づいたら一本とられた感じで、楽しい雰囲気のまま歌が始まる。

♪酒は大関

TOSHI-LOWさん「昔CMでやっていたんで、最後のフレーズは一緒に歌える方は一緒にお願いします!」
濃い土の匂いのするような、あっけらかんと力強いTOSHI-LOWさんの声に続き、芯のある透明な高音でYaeさんが、更に芳醇なワインのような低音のトキコさんが加わり、最後は壮大な温かい酒盛りでの一節のように人間味たっぷりの豪快なハーモニーと最後はギターの温かいストロークが混ざり合い、拍手と重なったまま終わった。

続いてお待ちかねの鏡開き!村上さんがマイクを握り、狭い舞台上に大勢のゲストたちを呼び込み、スムーズに進行していく。

村上さん「では、このまま鏡開きに移ります!まずは、大関の長部訓子社長と喜多屋の木下宏太郎社長、ご挨拶をどうぞ!」
長部さん「お酒の大関の長部と申します。今日はお祝いの席に呼んで頂き有難うございます!」
木下さん「福岡の八女っていうお茶の産地で蔵元をやっています喜多屋の木下でございます。福岡で行われていた『ほろ酔いコンサート』で少しずつご協力をさせて頂いておりました関係で、今日お呼びいただきました。60周年誠におめでとうございます!」

トキコさん「60年間、歌手を続けてこられて、そのうちの50数年は毎年、大関さんに『ほろ酔いコンサート』へご協力頂いてきました。また最近は九州でも『ほろ酔いコンサート』をさせて頂いています。私のような幸せな歌手はいないと思います!」
そう言って破顔一笑、トキコさんは本当にうれしそうだ。

トキコさん「そういう意味でも、感謝をこめて、鏡開きを盛大に行いたいと思います。今日は多くのお友達に来ていただいているのですが、そのなかから代表して上がってきて頂きます」

村上さん「続きまして池畑慎之介さん。平野レミさん。渡辺えりさん。クミコさん・・・」
村上さんが、次々とお名前を読み上げる中、トキコさんが割って入った。

トキコさん「私から先に紹介していいですか!?(池畑さんは)私と同期です。1969年に『ひとり寝の子守唄』と『夜と朝のあいだに』が同時期で、そのころから同級生でした。
それから、平野レミさんは・・・」
そう言いかけたトキコさんの言葉を、今度は平野レミさんが笑顔で割って入ってくる。
平野さん「もっと前よね!(会場の)皆さんが生まれる前よね!だって私がトキコさんを知ったのは60年前なの。その頃シャンソン・コンサートがあってね、トキコさんが優勝したんです!うまいなあ、と思ったの!それで、優勝した日は私も丁度ホテルで歌っていて、加藤登紀子さんの初めての紹介をしてくれっていうのでね、「今日、シャンソンコンクールで優勝した加藤さんどうぞ!」って私が紹介してトキコさんが出てきたの。それが初めてよ!!」
村上さん「・・・長い話ですね(笑)」
トキコさん「長い、古い話よね。でもその逸話、私が歌手としてデビューする前からだから、世の中の歴史に残らない歴史ですよね。ありがとうございます。元気で行きましょうね!」

ヒダキトモコ

写真家。日本写真家協会(JPS)、日本舞台写真家協会(JSPS) 会員

東京都出身、米国ボストンで幼少期を過ごす。専門はポートレートとステージフォト。音楽を中心とした各種雑誌、各種ステージ、CDジャケット、アーティスト写真等に加え、企業の撮影も多数担当。趣味は語学とトレッキング。

​Instagram : tomokohidaki_2 / Twitter ID : hidachan_foto