ドキュメントTokiko
02.



村上さん「この後はゴスペラーズの皆さんに一緒に歌って頂きますが、色んな方からメッセージが来ているので紹介させて頂きます」

トキコさん「さあここから少し落ち着きましょう。ゴスペラーズの村上さんは、飲んで歌ったりすることはない?」
ゴスペラーズ村上さん「ほろ酔いコンサートには何度も呼んで頂いたので、その時は飲みましたけれども、普段は飲んで歌うということは・・・(笑)」
トキコさん「今日は皆さん揃ってきていただけるなんて本当にうれしいです。では5人の皆さんに私も加えて頂いてロクスペラーズとして歌わせて頂きます」
村上さん「スタジオジブリ鈴木敏夫さんからのメッセージです。
鈴木さん『時には昔の話を。宮崎さんが描いた唯一の大人の女性。トキコさん以外誰が演じられるというのでしょうか』
宮崎駿さん『もっと遠くへ。長生きしてください。紅の豚より』

♪時には昔の話を
トキコさんのいつもの優しい包容力のある歌声に、彩も華やかな優しいハーモニーが合わさり、特別な『時には』となった。
村上さん「では次の方からのメッセージをご紹介させて頂きます。中森明菜さんから頂きました。
中森さん『この度は歌手活動60周年記念、誠におめでとうございます。60年間歌い続けてこられたこと、そして、今まで数々の素晴らしい楽曲を世に出されていること、心から尊敬致します。私自身も心に響く楽曲をご提供いただいたこと、大変感謝しております。
どうかお身体に気を付けて、これからも素晴らしい音楽を私たちに届けてください。心よりご活躍を楽しみにしております』
以上、中森明菜さんからのメッセージでした。この楽曲というのは、難破船のことですよね?」

トキコさん「私が難破船を作った時はもう40歳を過ぎていたのですが、歌の内容は20歳の時の失恋を歌っていたので、明菜さんが丁度22歳だったときに、あなたがふさわしいと思うわ、って言って直接カセットを渡したのがきっかけでした。本当に素晴らしく歌って頂いて。いまもお元気で歌い続けていらっしゃると聞いて、嬉しいなと思っています。今日はやはり20代の若いピアニストと一緒にお送りします」
村上さん「では、弘前が生んだ麗しのピアニスト、五条院凌さんです」

五条院さん「おトキコ様、本日は誠におめでとうございます。難破船は、私にとって、幼少期の頃からお守りおソング、この前のアルバムにもカバーさせて頂きました。本日こんなに素晴らしいステージをおトキコさんと一緒に演奏できること、楽しみでございます」
トキコさん「では。五条院凌さんの伴奏で、難破船をお送りします」

♪難破船
すべてに丁寧語の「お」を付ける五条院さんのトークの面白さとは裏腹に、難破船の第一音が響いた瞬間、稲妻が走ったような気がした。イントロが始まり、その華やかさと悲劇性が一気に会場全体を包み込むような、音一つ一つがキラキラとしたピアノが始まり、客席も息をのんだように静まり返って聴いている。

中森さんの美しく儚く崩れていきそうな『難破船』に対し、トキコさんの歌は、ほんの少し力強い光を内包した『難破船』のように私には聞こえた。歌い終わりの歌詞、(私は愛の難破船)、の「ん」と並ぶように、静かなトーンでゆっくりと踏みしめるように最後のピアノの音が響いた。一瞬間があり、会場からは割れんばかりの拍手が起こった。
村上さん「では続いてメッセージをご紹介します。
ダイアンさん『またいきまーす!ゴイゴイスーです!』
ダイアン津田さんからのメッセージです。この方は遠い親戚にあたるのですね?」
トキコさん「親戚です」
なんでも、トキコさんのひいおじいちゃんと、ダイアンさんのひいひいおじいちゃんは同一人物、ただし当時は江戸時代で奥様が4人いたそうで、別の奥様の家系なので少し遠縁ということだった。
「どうぞひいきにしてやってください」トキコさんはニコっと笑った。
村上さん「続いては和田アキ子さんです。少し長いですが、このまま読みます。
和田さん『加藤登紀子様、歌手活動60周年本当におめでとうございます。今日はそちらに伺えず、本当に残念です。ここからはいつもの呼び方で、おとき、と呼ばせて頂きます。
おときとはもう何年ものつきあいになりますでしょうか。随分と長いおつきあいになりましたね。おときが青山でお店をやられていたとき、何度も伺い、一緒に歌わせて頂きました。
そして、おときからは大切な宝物を頂きました。『今あなたに歌いたい』という歌です。
1988年、私の20周年のときにこの歌を頂きました。その時のことを鮮明に覚えています。全日空ホテルで私の20周年パーティが行われていたのですが、その時おときから「アッコにいい歌ができたのよ、夢に出てきたのよ!」と一本のカセットを渡されました。そこには、和田アキ子にささげる歌、と書いてありました。いまでもホールでやるコンサートでは必ず、最後の歌としてオフマイクで歌っています。この歌をずっと歌いきれるようにと日々トレーニングをしています。本当に私の宝物です。ありがとうございます。
お互い歳をとりましたけれども(笑)まだまだ現役で一生懸命頑張っていけたらと思います。改めて、60周年おめでとうございます』
以上、和田アキ子さんからでした」

「アキ子さんが歌って下さる、この歌、私も最近大好きで、歌うようになりまして、今日は是非皆さんに聴いて頂きたいと思います」

♪今あなたに歌いたい
撮りながら、私はいつかの紅白歌合戦のトリで、和田アキ子さんがこの歌を、サビをマイクから離して全身全霊で歌い上げる姿を、昨日のことのように思い出していた。心を伝える、ということを、こういう形で見せてくれる和田さんの真摯な表情にも、胸が熱くなったのを覚えている。そのときの、あの歌を作ったのが、目の前のトキコさんである。『難破船』もそうだがこの歌も、中森さんや和田さんの歌表現の魅力とはまた微妙に色合いの違う、新たな世界観を見せてくれる、トキコさんの歌の世界である。
村上さん「もう御一方、石川さゆりさんから頂いたメッセージです。
石川さん『加藤登紀子様。歌手生活60周年おめでとうございます。
オギャーとこの世に生を受けて60歳になると皆、赤いチャンチャンコを着てお祝いをします。でもトキコさんは歌を歌って60年、素晴らしい、すごいです。日本語が激しく変わりゆく時代に一杯呼吸をしながら、自分の言葉を、愛を、歌っていらっしゃったんだなあと思います。
私の50周年の記念楽曲も作って頂きました。コロナ渦真っ最中でしたので色々と考えてくださって、故郷をテーマに、それも帰りたくても帰れない故郷を書いて下さいました。詩もメロディもまさに加藤登紀子さん。残雪という素晴らしい歌を書いて頂き、ありがとうございました。大切にずっと歌っていきます。トキコさんはいつも元気に楽しげに歌っていらっしゃいます。いつも今の風を肌に感じながら歌を作っていらっしゃいます。そんなトキコさんが大好きです。きっと今日も新しく、何かを見つけていらっしゃいますね。優しく笑いながら』
以上、石川さゆりさんからのメッセージでした」

ヒダキトモコ
写真家。日本写真家協会(JPS)、日本舞台写真家協会(JSPS) 会員
東京都出身、米国ボストンで幼少期を過ごす。専門はポートレートとステージフォト。音楽を中心とした各種雑誌、各種ステージ、CDジャケット、アーティスト写真等に加え、企業の撮影も多数担当。趣味は語学とトレッキング。
Instagram : tomokohidaki_2 / Twitter ID : hidachan_foto