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ドキュメントTokiko

2025
02.
10
ほろ酔いコンサート2024 関内ホール②
そして「わが人生に悔いなし」「知床旅情」を続けて聴き入る。
この時、祖母が幼少期の私を背負いながら歌ってくれた歌が「知床旅情」であると初めて気付き密かに涙した。祖母は震災の後すぐに他界しているし歌詞も覚えていないし、曲名を調べるすべがなかったので思いもがけない宝物をいただいた気持ちになった。祖母が私を背負って歩いてくれた海辺も今はもうないけれど、音楽は鮮明に優しい記憶を蘇らせてくれる。この歌を聴けば、これから何度だって故郷や祖母に再会出来るようで心強かった。
「時代おくれの酒場」「難破船」「ひとり寝の子守唄」が関内ホールに響いた頃だろうか。客席にちらりと頬を拭くハンカチが見え隠れする瞬間があった。
思い出す過去があったのだろうか。はたまた思い馳せる未来があったのだろうか。
音楽は今この瞬間に鳴っているのに、遠い過去や未来へも連れ出してくれる。音楽が鳴っている時は、時間の流れは一方ではない。
私が「知床旅情」でなくした故郷を旅し「檸檬 Lemon」で将来訪れるであろう「大切な人の不在」を想像するように。
ギターを抱えた登紀子さんにピンスポットライトが降り注ぐ。
「死んだ男の残したものは」を演奏される前にこの年の11月13日に亡くなった詩人の谷川俊太郎さんについてもお話しされていた。
「この歌を歌いたくなったのよ」と浮かべた笑顔は切なさとも慈しみともどの言葉とも結び付かない、辞書にも載っていないような表情だった。
生きれば生きるほど同時代を生き抜いた大切な人を見送る機会は増えてしまうけれど、それでも生きていこうとする人は泣きたいくらいに傷だらけで美しい。
「声をあげて泣いていいですか」も過去未来現在、全てを包み込んでくれるような歌だった。
「声をあげて泣いていいですか」という歌詞がホールに響くたびに「声をあげて泣いていいんですよ」と言われているように錯覚する。
大人になるにつれて、なかったことになることが増えていく。色んな「仕方ない」に殺されて、自分の心さえもなかったことになる瞬間が幾度も訪れる。声をあげて泣きたかったことはたくさんあって、でもその忙殺された涙をもう一度きちんと流してあげていいのだと掬い上げてもらえるような、そんな歌だった。

圧巻の第一部が終わり登紀子さんも一度楽屋へ戻られた。
まだ前半だというのに既に得たこの充足感の正体は何なのだろう。
「ただ歌を聴いた」という話ではない。
考えずとも分からずとも、確かにそこに何か大きなものを感じられる。大きな時代の、大きな人生の流れの風のようなものを。暖かくて、時に熱くて、それでも止まない大きな風のようなもの。
上手く言葉に出来ない、そういう大きなものの息吹をコンサートの中で静かに感じていた。

そんなことを考えている間にブザーが鳴り客席が暗転する。
ステージにはメンバーが揃い、第二部では黒の衣装を纏った登紀子さんがステージ袖から駆け出してくる。

イタズラにも見える少女のような表情をした登紀子さんが小走りに駆けて来た時「転んだら危ないからね」と80歳の親戚に手を貸したことを思い出した。一方で世界にはこんなに弾けるように駆け回る80歳もいるのか…と驚き思わず笑ってしまった。
健やかであれることは希望そのものなのかもしれない。
「雑踏」「私は後悔しない」「愛の讃歌」そして「さくらんぼの実る頃」と通して丁寧に歌われていく。
「愛の讃歌」はこれまで何度も耳にして来たが、登紀子さんの生の歌声で聴くと魂のまた違う場所が震えるような感覚になった。「愛の讃歌」の「讃歌」という言葉により重みを感じる。愛の讃歌。愛を讃え歌う。タイトルを改めて噛み締めるようなそんなひと時だった。

そして何度聴いたか分からない「さくらんぼの実る頃」を現在の登紀子さんの声で聴けてこちらも心が音を立てて震えるようだった。
ミュートをし忘れたドラムの響き線のようにビシビシと心のどこかが鳴っている。
登紀子さん曰く「紅の豚」は今からちょうど100年程前のイタリアが舞台で、そしてこの歌は更にそこから50年程遡った時代にパリで誕生したらしい。全く色褪せることなく、むしろ艶が増して行くかのように今も歌い続けられる。歌い続ける人が在れば、歌に寿命はないのかもしれない。
こちらはフランス語バージョンしか聴いたことがなかったので、この日途中日本語で歌われた時には何とも表現し難い感動に見舞われ口元を手で覆ってしまった。ゆっくりと全身が優しく解きほぐされていくようだった。
「さくらんぼの実る頃」は私のイタリア人の友人も大好きな歌だ。彼と出会った日、私が日本人だと知った途端「Porco Rossoを何度観たかわからない!素晴らしい作品だ。君に当時のイタリア空軍の話を聞かせよう。」と興奮気味に話してくれた。ジーナとマンマユート団が大好きな彼にも、登紀子さんが日本語で歌うこの曲を聴かせたいなあと思った。

そしてコンサートが進むに連れて撮影中であるにも関わらず身体の強張りが解けていくのに気が付いた。
重たいカメラを構えているので腕にはグッと力が込められているけれど、緊張や怯えのようなものがふっと優しく解けていく。
不思議な感覚だった。

一曲一曲聴き入るたびに、この場に居ることに怯えなくて良いのだと身体が自覚していく。

ふと、友人のあの質問が頭の中でこだました。

「あなたにとっての平和ってなあに?」

どんな感情も物事も人質に取られず、安心してここに在れること。
音楽に身を委ねられること。
今この瞬間。
もしかしたらこれも自分にとっては平和の一つなのかもしれない。そんなことをしみじみと思った。
他者にとっての平和の定義は分からない。
でも何が安らかで穏やかなのか、この身体と心はきちんと知っているらしかった。それからも伸び伸びと夢中でシャッターを切った。

こいわいはな
1994年、宮城県生まれ。『水曜どうでしょう』のイベントや書籍撮影を皮切りに、映画、ドラマ、演劇、ライブ、CMなど様々な現場で活動中。
【スチール担当演劇】 EPOCH MAN『我ら宇宙の塵』など。
【スチール担当映画・ドラマ】荻上直子監替『波紋』、岸善幸監『正欲』『サンセット・サンライズ』NHKドラマ『水平線のうた』など

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