ドキュメントTokiko
02.

何千回聴いたかもう分からない「時には昔の話を」を生で聴いたのは初めてで、言葉では言い表せない量の想いが込み上げてくる。間違いなく自分自身の人生のテーマ曲の一つで、それを今聴けるなんて。
物心ついた頃には「この歌をもっと理解出来るような生き方をしたい」と憧れ、震災の時は「悲しみや喪失も艶に変えて来たジーナのような生き方をしたい」と繰り返しお守りのようにこの歌を聴いてきた。
そんな風に感動しながらシャッターを切る私の側には頷くように、野の花のように揺れながら聴き入っているお客様もいて、なんだかそれが嬉しかった。
それぞれの景色を抱きながら歌と空間を静かに大勢の方と共有出来るのはコンサートの良さなのかもしれない。


「広島 愛の川」の朗読は何故だか森の中に居るような心地になった。
中沢啓治さんが遺したこの詩以上にここで特筆すべきことはないのだけれど、朗読の最中頭に浮かんでくる光景は生い茂る木々だった。
新緑のような美しい照明がそうさせるのかもしれないが、朗読を通して「その先」にある緑の生命力みたいなものをふと思い出したのだ。

2011年の夏だろうか。遺体の捜索もまだまだ続いていたあの夏。灰色の故郷のその更地の上にどんどん新緑が生い茂っていったあの光景が蘇ってくる。
「家もなくなればこんなに雑草が生えるのか」と悲観する人もいたが、私にはその光景が嬉しかった。更地になった我が家の上にもたくさんの緑が元気に生えていて、人間の都合にはおかまいなしに栄えるその生命が羨ましかった。
その時の感覚を、朗読を聴きながら思い出したのだ。
戦争と災害は違うものだ。
だけど、灰色になった街に緑が伸び出すあの光景への、生命への憧憬には何か近いものがあったのではないだろうかと思う。
人の意思や都合や力とは全く別に伸びていく命の心強さよ。その命への敬意と憧れ。そういったものがあの時も、あの時にも、あったのではないだろうか。

最後に「運命の扉」が歌われ、登紀子さんとバンドメンバーがステージを後にする。
客席が明るく照らされる中、アンコールを待ち侘びて会場には各々の手拍子が響く。
我慢ならず立ち上がって登紀子さんの名前を呼ぶ方もいて、体温よりも高そうな熱気と高揚感が立ち込めた。
誰かの名前を大きな声で呼ぶことも、誰かを待ち侘びて柏手のように拍手をすることにも若干の非現実感が伴い、天晴れな光景だった。
私には私の気持ちがあるように、ここに居る方にもそれぞれの、全員分の気持ちがある。
それをこうして持ち寄れる場というのは素敵だ。
再びステージには登紀子さんとバンドメンバーが駆けてくる。
「Never give up tomorrow」と「君が生まれたあの日」の二曲をもってほろ酔いコンサート2024、関内ホールが締めくくられた。

尊敬できる年上の女性の存在はとても心強く、ありがたい。

こうして私にとっての最初で最後の「初めてのほろ酔いコンサート」が終演した。
登紀子さんの生の歌の力に命を洗われ、そしてお客様の静かな活気と熱気に元気をもらうような師走の出来事だった。
健やかであるということは明るくて、愛するということはそこに付き纏う悲しみや影をも照らしてしまうようなこういう光景のことを指すのかもしれない。
直接的な言葉がなかったとしても愛は静かに雄弁なのであった。
生きている限り、生き抜いている限り、再会は繰り返したい。それは痛切な願いだ。
またここで登紀子さんやお客様と再会できたら良いなと願ってしまう、そんな初めてのほろ酔いコンサートだった。
1994年、宮城県生まれ。『水曜どうでしょう』のイベントや書籍撮影を皮切りに、映画、ドラマ、演劇、ライブ、CMなど様々な現場で活動中。
【スチール担当演劇】 EPOCH MAN『我ら宇宙の塵』など。
【スチール担当映画・ドラマ】荻上直子監替『波紋』、岸善幸監『正欲』『サンセット・サンライズ』NHKドラマ『水平線のうた』など
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