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ドキュメントTokiko

2025
09.
02
ドキュメントTOKIKO - Restart 『加藤登紀子60周年記念コンサート』<第一部>①

街路樹の上、アオスジアゲハが舞っている。青緑色の羽がこうして健気に街を飛ぶ時、東京の蒸し暑さも幾分マシに思える。

6月だというのに陽射しは強く、撮影用に全身真っ黒で揃えた服がジリジリと焼かれる。こうも黒い服ばかり着ているとコンクリートの上に落ちた濃い影と自分自身の境目もよく分からなくなる。足元のその光景を毎年目にするたび「もう夏が来たのか」と実感する。

NHKホールでのコンサートが開催されるこの日、初めて登紀子さんの事務所へお邪魔した。登紀子さんと一緒に会場まで向かわせていただけることになったので、リハーサルが始まるお昼前に事務所を訪れたのだ。

「小岩井さん、今日もよろしくね。」と現れた登紀子さんとお会いするのは昨年の12月ぶり。
ほろ酔いコンサート、東京ヒューリックホールぶりであった。

半年前の12月26日に有楽町で行われたそのコンサートには、妹夫婦と3人でお邪魔した。
私同様、映画『紅の豚』で育った妹は「ついに生で登紀子さんの歌を聴ける日が来てしまった」と開演前からずいぶんと緊張しているようだった。
普段は向日葵のような明るい笑顔を見せてくれる妹がこの日だけはなんだか様子が違ったことを半年経った今でもよく覚えている。

ほろ酔いコンサートの終演後、妹はボロボロと大粒の涙を流していた。
「登紀子さんを見たら、もう会えなくなった人たち、全員に会えた気がした。もう会えなくなった大好きな人たち、全員に抱きしめてもらえた気がした。」と泣いていた。

私の2歳年下のこの子も中学生の頃に東日本大震災で故郷も大切な人たちもたった一日で失ってしまった。
守られるべき存在であり、自我を形成していく途中の多感な時期に数え切れないほどの喪失体験をした彼女は、全てを笑い飛ばすことで乗り切ってきた。笑うこと、それが彼女の生存戦略だった。笑うことで自分も他人も守ってきた。
そんな妹がこうして泣くのはめずらしいことであった。

「登紀子さんに会ったら、もう会えなくなった人たち全員に会えた気がした」その感覚は姉の私にもよく理解出来るものだった。

ドラマの撮影やコンサートの撮影でもう何度も登紀子さんとお会いしているはずなのに、6月22日の今日も私は目の前の登紀子さんからそういった大きな何かを感じている。

他の誰かの人生を生きるわけではない。その時代を、目一杯の自分自身で生き抜くこと。
登紀子さんのそういった姿に私たちは「もう会えなくなってしまった誰か」を重ねるのかもしれない。

ワゴン車でNHKホールに向かう道中、登紀子さんはしばらく天気の話をしていた。
天気の話といっても「世間話としての天気の話」ではなくて「気象予報士なんですか?」と尋ねたくなるほどに込み入った天気の話であった。

私なんてせいぜい故郷と自分の住んでいる区の天気しかチェックしていないのに、登紀子さんは北から南までの天気の詳細を把握していて驚きのあまり思わず笑ってしまった。

仕事で日本中を回っていると想いを馳せる地が増え、気にかける土地や人々の顔が増えてゆく。
天気と土地と生活と仕事。
登紀子さんはそれらが全て自然に繋がっているようだった。

NHKホールに着くと登紀子さんがグングンと楽屋入り口に向かって行く。
自分の家に着きましたとでも言わんばかりの迷いのないその足取。
こうした何気ない動作の一つ一つから登紀子さんの歴史を感じられるので面白い。

そこからすぐに入念なリハーサルが行われ、目の前で繰り広げられるものの全てに夢中になっていたらあっという間に本番がやって来た。

昨年撮影させていただいた関内ホールでのほろ酔いコンサートともまた違った構成や演出が詰まった今回。

一体どんな光景が待ち構えているのか。

ホール全体に広がる高揚感に包まれながらも、感覚が静かに研ぎ澄まされていく。

開演のベルが鳴った後のステージ袖の雰囲気というのは静かなアドレナリンと緊張感に満ちていてなんだかそれが妙に心地いい。
映画やドラマの撮影ともまた発せられる熱の種類が違うのでそれもまた面白い。
これは生のパフォーマンス特有のものなのかもしれない。

メンバーの演奏がホールに響き始め、歌い出しに合わせるようにして登紀子さんがステージへ向かってゆく。
お客さんの拍手は喝采で、光とその拍手の音を盛大に浴びてコンサートが始まる。
この瞬間がとても好きだ。

『愛の讃歌』と『さくらんぼの実る頃』という豪華な二曲で始まり、舞台の端からその光景を見守る。


コンサートの始まりはまずステージの上と客席の両方を一緒に見たい。
「待っていました!」という各々の表情で目の前の光景を全力で受け止めるお客さんの姿というのはあまりにも美しい。
二曲目の終わりに会場内へ移動し『時には昔の話を』『時代おくれの酒場』『知床旅情』を全身で浴びる。
「今日は色んな年代の方が来てくれてるから知らない人もいるかもしれないけど。私、高倉健さんの奥さんだったことがあるのよ。」と登紀子さんが笑うと『居酒屋兆治』を観たことのないお客さんたちが驚き、藤野茂子としての加藤登紀子さんを知っているお客さんたちが微笑む。そんなシーンもあった。こういうMCを楽しめるのがコンサートの良さでもある。
そこからは中森明菜さんの話題に触れ、鬼武さんのピアノと共に『難破船』が歌われる。
「たかが恋なんて忘れればいい」という歌い出しから始まるこの曲を聴きながらふと失恋したばかりの友人の顔がよぎった。
身を引き裂かれるような愛別離苦や孤独は不安定な小船で夜の海に放り出されたような心持ちになるけれどそれを「愛の難破船」と表現されると、一体どんな時化に見舞われてきたのかと想像が膨らむ。改めて「凄い歌詞だなあ…」と客席前方で撮影しながらしみじみと噛み締めた。
こいわいはな
1994年、宮城県生まれ。『水曜どうでしょう』のイベントや書籍撮影を皮切りに、映画、ドラマ、演劇、ライブ、CMなど様々な現場で活動中。
【スチール担当演劇】 EPOCH MAN『我ら宇宙の塵』など。
【スチール担当映画・ドラマ】荻上直子監替『波紋』、岸善幸監『正欲』『サンセット・サンライズ』NHKドラマ『水平線のうた』など

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