ドキュメントTokiko
2026
07.
07.
17
ドキュメントTOKIKO - Restart 『ジーナの⽣きた100年とこれからわたしたちが⽣きる100年』<第一部>①
ジーナの⽣きた100 年と これからわたしたちが⽣きる100 年
<写真と文:小岩井 ハナ>
お客様の年齢層もいつもより更に幅広く感ぜられ、活気というか熱気というか、何とも形容し難い熱くて静かな「気配」でホールが満たされた。
サウンドチェックの後も登紀⼦さんは梅⾬とは無縁なピカピカの笑顔で本番を待っている。新しい⻑靴と傘を買ってもらった少⼥のような笑みでバックステージを歩く。
三⽇⽉みたいに⽬を細めて笑ってくれるそのお顔を前にすると、私は何も取り繕えなくなる。本当の気持ちを、この⼈にお話ししたくなる。
コンサートのずっと前から登紀⼦さんに尋ねたかったことがあった。どうしても、今尋ねたかったこと。
本番前に恐縮ではあったが、質問させていただいた。
「登紀⼦さん。登紀⼦さんは、絶望したことはありますか?」
尋ねた⾃分の声は情けないくらい、弱々しいものだったと思う。
最近、ニュースを⾒るたびに⼼⾝が削られてゆく。世界情勢、国内の政治の動き、悲しい事件。どこにいても何をしていても様々な不安や憤りが紗幕のように眼前にかかり、その奥にある⽣きている実感のようなものさえ霞んで⾒える。
国と国が争い合い、⼈が⼈を殺し、同じ国に⽣まれても分断という名の溝は深く広くなり、旧知の⼈の差別的な発⾔を⽬の当たりにすると頭を殴られたような感覚になる。
事実よりも声の⼤きさや煽動する⼒が重宝され、リテラシーを持ち合わせることが不利であるかのように錯覚してしまう。
私は16 歳の頃に東⽇本⼤震災の津波で被災し、故郷のほとんどは⽡礫の⼭になってしまった。
家族を探す際、無意識に避難所よりも先に遺体安置所に向かった。それくらい、⼈が⽣きていることが当たり前ではない状況を経験した。
遺体安置所の⼊り⼝でおばあさんが泣いていた。「戦争が終わって、もうこんな光景⾒なくて済むと思ったのに。こんな思いをする前に死ねばよかった」と声を上げて泣いていた。
私は戦争を経験していないけれど、震災の凄惨な光景を⽬の当たりにした時に「絶対に戦争はしたらいけないんだ」と強く強く思った。
⼈間の⼿によってこんな残酷な光景を絶対に⽣み出してはいけない。
この惨状が戦争によって⽣み出されてしまったら、⼈はずっと他者や国を恨み続けることになる。
でも世界から争いは消えず、毎⽇そんなニュースを⽬の当たりにして、私は時折絶望してしまいそうになる。諦めたくはない。でも、絶望しそうになる。
激動の時代を駆け抜けてきた登紀⼦さんにこんな質問をするのは畏れ多かったが、上記のような話もお伝えした上で、尋ねた。
「登紀⼦さんは、絶望したことがありますか?」
登紀⼦さんはまっすぐこちらを⾒つめて、こうお話ししてくださった。
「⼒をもらうんです。想えば想うほどに。悲しい光景を⾒た⼈は、それをエネルギーに変えていかなければいけないんです」
本番前に登紀⼦さんがお話ししてくださったことは、今⽇のこのコンサート『明⽇への讃歌 ジーナの⽣きた100 年』と切っても切れない⼤切な内容だったので、今回のレポートはコンサートの様⼦だけでなく登紀⼦さんのこの時の⾔葉も織り交ぜながら記し、ここに残そうと思う。
冒頭でも軽く触れたように今回のコンサートはお客様の年齢層も広く、会場内の空気もいつもと少し違っていた。どういう⾵に違うのかと聞かれたらなんとも説明しにくいのだが、晴れた⽇の夜と⾬が降った⽇の夜とでは空気の匂いや温度が違うように違っていた。
そして今回のコンサートは『百万本のバラ』から始まった。終盤に歌われるイメージが強い曲だったのでそのこともなんだか新鮮だった。
バンドメンバーが演奏を始めるとステージ後⽅の⿊幕が開かれ、真っ⾚なバラのカーテンが現れる。



登紀⼦さんが歌い始めると会場の熱気もまたグッと⾼まり、視線という視線がステージに注がれていることを背中で感じる。
⼆曲⽬の『明⽇への讃歌』も、撮影しながらうっとりと聴き⼊ってしまう。
「⽣きてることを 愛せるなら 他には何もいらないだろう」という歌詞が⽬頭を熱くさせる。傷⼝に優しく滲みるような歌だ。
⼆曲⽬の『明⽇への讃歌』も、撮影しながらうっとりと聴き⼊ってしまう。
「⽣きてることを 愛せるなら 他には何もいらないだろう」という歌詞が⽬頭を熱くさせる。傷⼝に優しく滲みるような歌だ。

三曲⽬の『知床旅情』でそれぞれの北の光景を旅した後に登紀⼦さんのMCが始まる。
「ようこそ。60 周年が過ぎたので、ま、振り出しに戻ったっていうことにしましょうか」
「ふと思ったんですよ。⼈⽣のスタートから船出をして、なんとなく海を超えてきたような、そんなことをね」
1970年2 ⽉。芦野宏さんのコンサートのゲストとして流氷真っ只中の根室を訪れた20 代の登紀⼦さんの思い出に全員が⽿を澄ませる。
登紀⼦さんは根室から⾒た流氷や灯台の光景を我々に描いてみせながら、次に歌う三曲の紹介を始める。
「ようこそ。60 周年が過ぎたので、ま、振り出しに戻ったっていうことにしましょうか」
「ふと思ったんですよ。⼈⽣のスタートから船出をして、なんとなく海を超えてきたような、そんなことをね」
1970年2 ⽉。芦野宏さんのコンサートのゲストとして流氷真っ只中の根室を訪れた20 代の登紀⼦さんの思い出に全員が⽿を澄ませる。
登紀⼦さんは根室から⾒た流氷や灯台の光景を我々に描いてみせながら、次に歌う三曲の紹介を始める。

「私の愛する河島英五さんの『⽣きてりゃいいさ』を。そして⼀度も会ってはいないけれど、運命のように私の⼼に⽣き続けている尾崎豊さんの『I LOVE YOU』を。私に素敵な⼤きな⾳楽の広がりを⾒せてくれた中森明菜さんの『難波船』を。この三つを歌います」
登紀⼦さんの歌う『⽣きてりゃいいさ』と『I LOVE YOU』を聴いたのは初めてで⼼が震える。
『難波船』もコンサートで聴くたびにこちらが思い浮かべる⼈物も変わる。その変化もまた、なんだか、⼈⽣。
登紀⼦さんの歌う『⽣きてりゃいいさ』と『I LOVE YOU』を聴いたのは初めてで⼼が震える。
『難波船』もコンサートで聴くたびにこちらが思い浮かべる⼈物も変わる。その変化もまた、なんだか、⼈⽣。


「30 年前にコンサートで⼭⼝に⾏った時。⼭⼝の⽅から来年で中原中也が90歳ですからと⾔われたの。そんなに⽗と年が違わないと思ったら歴史上の⼈だったのが近く感じられて……」とMCが始まる。
その頃告井さんから曲をもらっていたばかりで、そこに中也の『汚れつちまつた悲しみに』を合わせたらぴったりで運命を感じたというお話も素敵だった。
「1907年に⽣まれて、たった30 歳で……。1937年、⽇中戦争が始まった年にこの世を去っている。彼が描いたものの中からも、当時のやるせなさが伝わってくるんです」
少しの間があってからこう続ける。
「そこから100年余り、私たちはなにをしてきたんだろう」
次の曲は2002年1 ⽉1 ⽇に作詞作曲した歌。
「戦争の終わらない厳しい⼀年を過ごしてきた、夫が亡くなった年の正⽉ですね。空の下でアフガンの攻撃が⾏われていた、そんな⽇に作った⼀曲『Now is the time』」
コンサートの第⼀部のラストは、この⼆曲が歌われた。
登紀⼦さんの歌を聴きながら、⼩学⽣の頃、中原中也の『汚れつちまつた悲しみに』が⼤好きで暗唱した記憶が蘇った。
汚れつちまつた悲しみに
今⽇も⼩雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今⽇も⾵さへ吹きすぎる
その頃告井さんから曲をもらっていたばかりで、そこに中也の『汚れつちまつた悲しみに』を合わせたらぴったりで運命を感じたというお話も素敵だった。
「1907年に⽣まれて、たった30 歳で……。1937年、⽇中戦争が始まった年にこの世を去っている。彼が描いたものの中からも、当時のやるせなさが伝わってくるんです」
少しの間があってからこう続ける。
「そこから100年余り、私たちはなにをしてきたんだろう」
次の曲は2002年1 ⽉1 ⽇に作詞作曲した歌。
「戦争の終わらない厳しい⼀年を過ごしてきた、夫が亡くなった年の正⽉ですね。空の下でアフガンの攻撃が⾏われていた、そんな⽇に作った⼀曲『Now is the time』」
コンサートの第⼀部のラストは、この⼆曲が歌われた。
登紀⼦さんの歌を聴きながら、⼩学⽣の頃、中原中也の『汚れつちまつた悲しみに』が⼤好きで暗唱した記憶が蘇った。
汚れつちまつた悲しみに
今⽇も⼩雪の降りかかる
汚れつちまつた悲しみに
今⽇も⾵さへ吹きすぎる

中也が亡くなった歳を超えてしまった今、登紀⼦さんの歌声を通してまたこの詩を噛み締める。
続けて歌われた『Now is the time』を聴いた瞬間、コンサートが始まる前に登紀⼦さんに尋ねた質問の答えが、もうこの歌の中に詰まっていたことに気付いた。
「登紀⼦さん、登紀⼦さんは絶望したことがありますか?」
登紀⼦さんは真っ直ぐ向き合って、⽬を⾒てこうお話ししてくださった。
「悲しい出来事や恐ろしい出来事に直⾯した時、それをバン!と受け⽌めることで私は⼒をもらっているの」
「今⽇のコンサートの⼆部は特にそうだけど……今⽇私が歌う曲を作った多くの⼈が戦争を経験している。その間を⽣き抜いてきた⼈たちがいっぱいいるということに、ステージに⽴つと触れられるの。その時にね、むらむらとした怒りとか悲しみとか、そういうものを内に持つんです」
「その曲がぶわーっとエネルギーとして私の中に⽴ち上がってくるんです。だからそういう時代を⽣き抜いてきた⼈たちのパワーは消えていない。死んでいくけど消えていないのよ。そこから⽴ち上がるものはこの地上から消えていない」
続けて歌われた『Now is the time』を聴いた瞬間、コンサートが始まる前に登紀⼦さんに尋ねた質問の答えが、もうこの歌の中に詰まっていたことに気付いた。
「登紀⼦さん、登紀⼦さんは絶望したことがありますか?」
登紀⼦さんは真っ直ぐ向き合って、⽬を⾒てこうお話ししてくださった。
「悲しい出来事や恐ろしい出来事に直⾯した時、それをバン!と受け⽌めることで私は⼒をもらっているの」
「今⽇のコンサートの⼆部は特にそうだけど……今⽇私が歌う曲を作った多くの⼈が戦争を経験している。その間を⽣き抜いてきた⼈たちがいっぱいいるということに、ステージに⽴つと触れられるの。その時にね、むらむらとした怒りとか悲しみとか、そういうものを内に持つんです」
「その曲がぶわーっとエネルギーとして私の中に⽴ち上がってくるんです。だからそういう時代を⽣き抜いてきた⼈たちのパワーは消えていない。死んでいくけど消えていないのよ。そこから⽴ち上がるものはこの地上から消えていない」

そんな登紀⼦さんの⾔葉や想いはずっとステージの上から歌われ続けていたのだ。昨年活動60周年を迎えてもなお、世界に問いを持ち続け、そして答え続けるように。
『Now is the time』でコンサートの第⼀部が終わり、それぞれが⼆部の始まりを待つ。
余韻や期待で満ちた会場がなんだか⼼地よかった。
『Now is the time』でコンサートの第⼀部が終わり、それぞれが⼆部の始まりを待つ。
余韻や期待で満ちた会場がなんだか⼼地よかった。

こいわいはな
1994年、宮城県生まれ。『水曜どうでしょう』のイベントや書籍撮影を皮切りに、映画、ドラマ、演劇、ライブ、CMなど様々な現場で活動中。
【スチール担当演劇】 EPOCH MAN『我ら宇宙の塵』など。
【スチール担当映画・ドラマ】荻上直子監替『波紋』、岸善幸監『正欲』『サンセット・サンライズ』NHKドラマ『水平線のうた』など
X@hana_koiwai
Instagram@ohana_koiwai
1994年、宮城県生まれ。『水曜どうでしょう』のイベントや書籍撮影を皮切りに、映画、ドラマ、演劇、ライブ、CMなど様々な現場で活動中。
【スチール担当演劇】 EPOCH MAN『我ら宇宙の塵』など。
【スチール担当映画・ドラマ】荻上直子監替『波紋』、岸善幸監『正欲』『サンセット・サンライズ』NHKドラマ『水平線のうた』など
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