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ドキュメントTokiko

2021
04.
23
ビルボードライブ横浜 ~すべては偶然~ ー①ー

◆横浜の真新しいビルボードライブへ

満開の桜がはらはらと散り始める頃、ビルボードライブ横浜でトキコさんのコンサートが開催された。昨年予定されていたものがコロナで延期となり、一年経っての開催。安全に配慮して、いつもより早めの時間設定(1本目:15時~、2本目:18時~)となった。

真新しいビルボードライブ横浜は2020年7月にオープンしたばかり。楽屋エリアも白くてピカピカの廊下が心地よい。カメラを抱えてトキコさんの楽屋にご挨拶に行けば、準備中だったトキコさんが爽やかな笑顔で迎えてくれた。

会場はビルボードらしくやや暗めの照明に、客席はやはり少し間隔を空けながらトキコさんの登場を待っている。開演よりも少し早めにアナウンスが入り、お食事などの提供はここでストップというお知らせ。ライブレストランではあるが、この状況下、安全に配慮して歌を聞く時は食事ストップというルールにしてくれているようだ。

◆トキコさんチームの登場!

バンドメンバーが会場に姿を見せると客席から拍手が。ジブリ映画「紅の豚」でおなじみの『さくらんぼの実る頃』の温かな前奏のメロディが始まり、少し遅れてトキコさんが笑顔で登場すると、拍手は一段と強くなった。


♪さくらんぼの実る頃

おひさまのように包み込む深いトキコさんの歌声に、一瞬にして会場は歌の世界へ。
~どんなに時が過ぎても あの日の恋を 忘れない~(作曲:A.A.Renard 訳詞:加藤登紀子)
客席ではそれぞれが、きっといつかの思い出を思い出しているのかもしれない。

♪デ・ラ・シ・ネ

~紫のシャンデリア まぼろしの酒場には さすらいの踊り子が 微笑をふりまく~
(作詞作曲:加藤登紀子)

続く『デ・ラ・シ・ネ』では一変して、怪しく魅惑的な夜の街角へと連れて行かれた。
歌詞、メロディ、テンポ、そして歌声とビジュアル。すべてが合わさって二度とない今が流れていく。

「ステージに出てくるときにふと、『すべては偶然なのよ』と思いました。
昨日ふと窓をあけて月を見ると、満月だったんですね。開けなければ気づかなかったけれど、開けたら、満月でした。そんな風に、すべては偶然なのね。今日も、本当にようこそ!」

トキコさんを支える、この日のバンドメンバー。

ギター告井延隆
ヴァイオリン渡辺剛
ピアノ鬼武みゆき

◆デビュー以来初めての、たっぷりの時間

コロナ渦となってから、早一年。デビュー以来、こんなに時間がたっぷりあったことがないというトキコさんは、大好きなお酒のお付き合いも自粛して、ステイホームを続けている。
昨年はデビュー55周年という記念の年だったが、6月28日の夏の恒例オーチャードホール・コンサート、そして年末の恒例、ほろ酔いコンサートは共に、感染対策を万全にしながら開催することができた。特に6月はホールコンサートを誰もまだやっていない時期で、大変な緊張感と責任感をもってトキコさん、スタッフ共々臨んでいたことを思い出す。


♪この手に抱きしめたい

~もどかしいくらい 足りないことや
無力な自分に 泣けてくるけど~ (作詞作曲:加藤登紀子)

「去年の4月13日に作った曲、『この手に抱きしめたい』。私たちは家で自分に向き合っていられるだけ幸せで、そうできない(コロナと闘っている)人たちの方がずっと大変なので・・・そんな気持ちでこの曲を作りました」
続く『未来への詩(うた)』は4~5月の深夜1時50分から、NHKラジオ深夜便で流れた作品。
「あの時間帯、歌が闇の向こうから聞こえてくる感じが忘れられない」と話すトキコさんの歌は暖かく、本当に闇の中に差し込む陽の光のような気がするのは私だけではないだろう。


♪未来への詩(うた)

歌詞の中にある言葉:Pray Forever(祈り続け)、Sing For Future(未来のために歌はある)。
手を差し伸べて、心を捧げるために歌はあるということでこの歌詞を書いたというトキコさん。

「時間が出来たので去年、自伝を書きました。でも人生はまだ終わっていないから『人生四幕目への前奏曲』っていうタイトルにしました!いま丁度、三幕目が終わったばかりで、四幕目が開きましたっていう意味ね」そして客席の一人を覗き込みながら「あなたは、2幕目くらい?もうちょっと行ってるかな(笑)」と声をかけると会場は楽しそうに和んだ。

コロナ渦で始めたもう一つのプロジェクトは、「登紀子土の日ライブ」。毎月11日に開催される配信LIVE。土という漢字を分解すると、十と一。また、プラスマイナスとも読める。考えてみると面白い。

「プラスマイナス、ゼロ、という意味もあって。ゼロから何かを生み出すのが土」
というトキコさん。この日は一度自分をゼロに戻して、何か発見できるかという想いで始めたという。昨年の9月11日から始まって、12月11日にはギターの告井さん参加でジョン・レノン特集。1月11日にはピアノ鬼武さん参加で20代のころの自分をテーマに。そして3月11日は、福島に(コロナ渦のため)行くことは難しいので、屋上で風に吹かれながら、あえて一人で開催したトキコさん。

「原点に戻るっていう意味で。自宅の屋上からは東京タワー、スカイツリー、国立競技場が見渡せます」

自身が20代の頃、将来夫となる藤本敏夫さんがこの屋上で知床旅情をトキコさんのために歌ってくれた、思い出の場所。変化の激しい東京で、ここだけは1回目の東京オリンピックのときから変わっていないという。
「昔と同じ屋上がまだあって、空もあのときと同じ。そこで私の原点を語り、歌いました」

♪ひとり寝の子守唄

やさしい低音の声とハスキーな語尾と、それに続く力強く伸びる歌声、寂しいのに優しい歌詞。会場はしん、と静まり返って聴いている。続いて、藤本さんが歌ってくれたという『知床旅情』。



♪知床旅情

◆歌うことって何だろう

トキコさんのコンサートでは、歌はもちろんのこと、その間で聞ける、まるで身近に1対1で語っているような気持になる、滋味たっぷりのトークも大きな魅力だ。

上演間近のブータンの映画がとても良かったそう。以前コンサートでブータンの首都ティンプーに行ったトキコさんには懐かしかったそうだ。映画は、その首都にいる若者が学校の先生を目指す話だが、研修先でブータンの過疎の村で教育実習をすることとなり、そこで「歌」が大きな役割を果たしているという。

「その遊牧民の村では、歌がうまいことがとても大切なことで、例えば、歌がうまいから女性にもてる、とかね!寒いときは歌うことで紛らわせたり」

あるとき若者が標高3000m級の山の上で歌う一人の女性に出会う。
誰に歌っていたのか尋ねると、彼女はここにいる全ての自然や生き物に歌を捧げていたのだと当然のように答えるが、都会育ちの若者には不思議に思える、という話が印象的だ。

「でも本当に、歌は自分のために歌うわけですよね。何かに歌を捧げるということは、何かと一体になっていく自分に語り掛けているようなことだと思います、きっと」

藤本敏夫さんが真っ暗な空の下、歌った『知床旅情』。当時、この人はどうしてこれほど熱情を込めて一人で歌えるのだろうと思ったそうだが、それ以降、色々なことがあるたびに思わず自然に自分の中に歌が込み上げてくるのを感じたという。歌は、自分のために歌うもの。

つづいては、2011年3月11日の震災から1週間後、書いた一曲の歌。

♪今どこにいますか

震災直後の2020年5月、20年来のつきあいのある飯館村から連絡が入る。
(全村避難になった。村人がバラバラになってしまう前に、トキコさんのコンサートをお願いしたい)
二つ返事で駆け付けたトキコさんの目には、他の被災地とは異なり、一見何も失われていないような、5月の新緑まっさかりの飯館村だった。つつじや藤の花が咲き、いつもの美しい村なのに、この美しい風景やすべてを捨てて出て行かなくてはいけない人たちに、何を歌うべきか?
悩むトキコさんの心に浮かんだのは、作成途中だった『命結ーぬちゆい』という歌。沖縄の方言で命を(ぬち)と言うが、その温かさと優しさに包まれた歌を作ろうとして止まっていた1曲に、その場で歌詞をつけて5月25日、飯館村で発表した。

♪命結ーぬちゆい

~ひとりでもひとりじゃない 命結にむすばれて
どこまでもいつまでも までえのいのち咲かそう~(作詞作曲:加藤登紀子)

「ひとりでもひとりじゃない、って歌詞で言うのは簡単だけど、本当にひとりでもひとりじゃないって、言い続けられているのかと思ったりします」

それでも、本当にそのことばに命が宿っていると信じているというトキコさん。きっと色んな人の人生の中で、時代を超えて、歌は生き続けていく。ことばの持つ力は確かに存在し、ことばの中にある命を信じて歌ってくれる歌手がいる限り、届く我々の心には灯が灯されていく。私自身、歌と音楽と、共に生きていきたい写真家として、それはほぼ確信に近い、願いでもある。

ヒダキトモコ

写真家。日本写真家協会(JPS)、日本舞台写真家協会(JSPS) 会員

東京都出身、米国ボストンで幼少期を過ごす。専門はポートレートとステージフォト。音楽を中心とした各種雑誌、各種ステージ、CDジャケット、アーティスト写真等に加え、企業の撮影も多数担当。趣味は語学とトレッキング。

​Instagram : tomokohidaki_2 / Twitter ID : hidachan_foto