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ドキュメントTokiko

2021
04.
23
コロナ渦で2年目のオーチャード「時には昔の話を」~2021.7.18.ー①ー
昨年2020年のオーチャードは、コロナ渦が始まって初めての夏。
トキコさんが先陣を切って、ホール級のコンサートを厳戒態勢の下、無事安全に成功させた。
あれから1年経ち、ワクチン接種も徐々に進むものの、全国的な感染状況は悪化しつづけ、いまだ閉塞感が続いている。その中での今年のオーチャードのタイトルは「時には昔の話を」と題された。いまだからこそのトキコさんのメッセージを感じる一日になりそうだ。

リハーサルの空気。真っ暗な客席を手探りで歩く。最終チェックをするトキコさんとバンドメンバーの皆さんを撮影しながら、全員が発する氣のような空気を全身で感じる。静かな中に、強い思いを感じる時間。少しずつハーモニーを整えていく、小さな部分を丁寧に作り上げていく。そうしておいて本番は、思い切り自由に、ドーンと全力で想いを爆発させるのがトキコさんのスタイルだ。セットリスト(曲目)さえ、時に本番の流れで柔軟に変化していく。
戦争でもなく、事件事故でもなく、日々命が亡くなっていく未曽有の疫病に立ち向かう日々。
一番星だけが輝く暗闇に向かって、独りで挑んでいく背中に見えたのは、気のせいだろうか。

会場の外では、厳重な感染対策。体温チェックやチケット半券を自分でもぎる等のほか、アルコールジェルのプレゼントや、距離を保っての入場など、しっかりと対策がとられていた。
再度ロビーから楽屋エリアに戻ると、私自身、段々と緊張感が高まってくる。
1ベルが鳴り、客席の緊張も高まる頃、トキコさんがステージへと向かう。
色とりどりの楽屋花の横を、真っ白なドレスで颯爽と通り抜けていく。
客電(客席の灯り)が落ち、バンドメンバーが入場すると会場は期待と興奮に満ちた空気に包まれる。温もりを感じる前奏が流れ、トキコさんが登場すると会場全体に、星空がきらきらと瞬くような拍手が溢れた。
♪そこには風が吹いていた
~どうして泣けてくるんだろう まだ旅の途中なのに~
~君はまだ僕を忘れていないか 僕はまだ生きているよ 君の輝きの中で~
(作詞作曲:加藤登紀子)

トキコさんの代表曲ばかりでなく、全ての曲に織り込まれている一つ一つの宝石の様な想いは、トキコさんという一人の人生を通じて、濾過されて湧き出た清水のように強く美しい。弱さも悲しさも内包しているのに感じる暖かな強さは、その大きな優しさからくるのだろうか。

そのまま、朗々とはるかな世界にいざなってくれる『琵琶湖周航の歌』、昨年4月~5月NHKの「ラジオ深夜便」の歌として流れた「未来への詩」へと一気に歌った。
♪琵琶湖周航の歌
♪未来への詩

~どんなに暗い夜にも 朝が来るように~(作詞作曲:加藤登紀子)

一つ一つの選曲にも、トキコさんの気持ちがあふれているように思われた。
拍手が鳴りやむころ、口を開いたトキコさんはまず、昨年に引き続いてオーチャードホールコンサートを開催できたことの喜びと感謝を伝えた。

「まずは三曲つづけて、かけつけ三杯!(笑)オーチャードは、どうしても気合が入っちゃうので、リラックスして・・・と思っていたら今日はメイク道具を忘れてきてしまいました!でも、なんとかメイクできたので大丈夫です」
そんな言葉で客席は一気に笑いで包まれ、和やかな空気になる。

メンバー紹介では年齢順に、ギターの告井延隆さん(トキコさんサポート歴50年!)、ベースは早川哲也さん、ヴァイオリンは渡辺剛さん、ピアノ鬼武みゆきさん。
「そして一応、加藤登紀子です!」
と締めくくると、会場はまた楽しそうな笑いに包まれた。

昨年、デビュー以来初めてというくらいにスケジュールが一瞬真っ白になり、音楽業界全体がストップした。トキコさん自身、頭が真っ白になって途方に暮れたというが、「そういうときは振り返ることが大事」と考えたという。
トキコさんのお母様は100歳を超えて生きた。トキコさんも100年とはまだ行かずとも、77年生きてきている分、色々な意味で語る責任があると感じたという。

「二番目に歌った『琵琶湖周航の歌(1917年)』が出来てからもうすぐ百年。映画『紅の豚』の世界は、いまから100年くらい前の人々の話です。未来って不思議だなと思って。一番確かな未来って、いま感じているこの瞬間、いつも通り過ぎていくんだけど、そのたびに新しい時が開くっていうのが今という瞬間だから」

そう語ると昨年4月13日に、コロナ渦で作った一曲を歌ってくれた。
♪この手で抱きしめたい

~愛するあなたを守れなくて 遠くで祈る人の声が聞こえますか~
(作詞作曲:加藤登紀子)

「あの時、あの歌が出来たんだなって覚えている歌はいくつかある。それはたいてい、
途方に暮れている時なんですね。本当に途方に暮れて、明日のページがもう開けないと思う時、何もなくなった時、目の前に闇の中から降ってくるように生まれる歌があります」

きっと何度も何度も、途方に暮れて、真っ暗になって、そこから歌が生まれて、生き抜いてきたという時間の積み重ね、ひとりの人の人生の深みを覗かせてもらった気がする。

そんな風に生まれた歌の一つが、『ひとり寝の子守唄』だという。

「1969年の3月11日、東京に雪が降ったときでした。仕事も無くなって、去年の4月と似たような、でももっと寒くて、独りでぽつねんといたときに、出来た歌です」

夫の藤本敏夫さんに歌って聴かせると、「そんな寂しい歌は俺はきらいだ」と言われたというエピソードもある。一方、森繁久彌さんはこの唄の弾き語りを初めて聞いて「俺と同じ想いで歌う人を見つけた」とトキコさんを抱きしめたという。

♪ひとり寝の子守歌
♪知床旅情

告井さんのギターにトキコさんの声が合わさっていく。
ゆったりとした歌に、どんどんと楽器が増えて行って暖かさが重なり、増していく。

「『知床旅情』は、いつも会場のみんなと一緒に歌うのが前提で歌っていたので、新鮮ね!今日は会場のみんなは声が出せないから、独りで歌いました」

ギターを持って座って足を組むと、一杯呑みたくなる、というトキコさん。
「今日はそんなに長い弾き語りはしないつもりで、全然その予定じゃなかったんだけど、リクエストあります?(笑)って言っちゃいけないけど。1曲やっちゃう?」

リハーサルにない曲を、豪快にセレクトして歌ってしまう!いたずらっぽく笑うトキコさんのこの雰囲気に、会場は本当に嬉しそうに拍手で湧いた。

「あの世に行ってしまった人が多くて、もう、泣いちゃうね。(ちょっと歌って)・・・ちゃんと歌うか!河島英五さんが亡くなって、今年でもう20年ですよ」
♪生きてりゃいいさ

~君が悲しみに 心閉ざした時 思い出してほしい 歌がある~

長く生きれば生きるほど、大切なひとたちとの別れを重ねていかねばならない。
置いて行かれる気持ちになることもあるかもしれない。大切な時を共に生きたあとに、どうしても避けられないおまけのように、死という別れが必ずついてくる。それを沢山経験しながら、きっと涙で見送りながら、前を向く強さはどこから来るのだろう。

「考えてみると一生の中で、こんなこともうないくらいに、時間だけはあるわねっていうような状況だなって思っていて。中村哲さんの本を全部読んだんですね。そしたら、知らないことがいっぱいありました」
というトキコさん。

中村哲さんが医師としてペシャワール会に関わり始めたのが1985年。トキコさんが最初に会ったのが2002年。哲さんの本からつかみ取った色々なエッセンスをトキコさんがまとめた新刊は、このコンサートに間に合わせるために最初の100冊限定で会場で販売され、あっという間に完売となった。

「哲さんの投げかけたもの、それは未来ですよ。未来を、なんとか光のあるものにしようと。
哲さんはアフガンにいって、地獄を見たんじゃなくて、光を見たんだと思いました」

そんな中村哲さんに贈る一曲として、自身が次女Yaeさんを出産したあとバタバタの中で不安と闘いながら作ったアルバム「回帰線」の中から一曲、人を見送る歌を歌う。
「ここを突破して未来に行きたい、いまここにいる自分を確かめたい、そんな思いで作ったアルバムです」

♪あなたの行く朝
熱い思いを胸に、去り行くひとの涙をそっと見守るこの歌は、きっと多くの人を、色々な意味で見送ってきたトキコさんの静かな優しさと切なさが溶け込んでいるようなメロディ。

一部の最後は、2004年に「今の自分を歌わなくてどうするの!」という気持ちで作ったアルバム「いまがあしたと出会う時」から、表題曲。
♪いまがあしたと出会う時
~燃える心のままに あしたを超えていけばいい~(作詞作曲:加藤登紀子)

きっと暗闇から歌が降ってきて、静かな涙をたくさん重ねて、いまの笑顔があるのかもしれない。トキコさんの心から放たれる言葉には、そんな真理がいっぱい詰まっている気がする。

ヒダキトモコ

写真家。日本写真家協会(JPS)、日本舞台写真家協会(JSPS) 会員

東京都出身、米国ボストンで幼少期を過ごす。専門はポートレートとステージフォト。音楽を中心とした各種雑誌、各種ステージ、CDジャケット、アーティスト写真等に加え、企業の撮影も多数担当。趣味は語学とトレッキング。

​Instagram : tomokohidaki_2 / Twitter ID : hidachan_foto