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ドキュメントTokiko

2021
04.
23
フォトグラファーから見た ほろ酔いコンサート東京公演 ヒューリックホール2日目 2021.12.26. ~音楽とお酒と花物語~②
【後半はバラから始まる】
イントロが流れ、客席が(百万本のバラだ、、、)と気づいた瞬間に、会場全体に波のように手拍子が広がっていく。すべるようにトキコさんがステージに現れ、潜むように笑うと客席は一瞬にしてバラの咲き誇る大広場へと連れて行かれる。

♪百万本のバラ

歌い終わるとトキコさんは傍らでバラライカを演奏していた男性を紹介する。
「ゲストに、北川翔さんをお迎えしました!」
北川さんは、日本人で唯一のプロバラライカ奏者。祖父である北川豪さんがシベリアに抑留されている間、沢山のロシアの歌を覚えて帰国。北川翔さんはその影響もあり、ロシア第二の都市、ロストフというコサックの人々が沢山住んでいる街に5年間、音楽留学をしたという。

ここからロシアゆかりの楽曲を2曲。
当初イギリス人が作ったことになっていた『悲しき天使』、そしてアメリカンフォークの父と言われるピート・シガーがロシアの作家ミハイル・ショーロフ作『静かなドン』に出てくる民謡の歌詞をヒントに作った反戦歌『花はどこへ行った』と続いた。

「今日は私の日本語訳で、歌います」
♪悲しき天使
♪花はどこへ行った
♪さくらんぼの実る頃


北川さんが退場したあとは、トキコさんのエディット・ピアフ作品が待っていた。

「1989年に初めて、パリ・コミューンの人々が何百人も立てこもった聖地に行きました。ペール・ラ・シェーズという墓地です」
そのパリ・コミューンの壁のすぐ近くにピアフの墓があったことに驚き、そこに自分のお墓を選んだピアフに感動したというトキコさん。

「そのあと、なんと宮崎駿さんが映画『紅の豚』で、私をジーナにキャスティングしてくれたんです!」
一つ一つの出来事が、繋がっていく不思議。その出会いや偶然は、やはりトキコさん自身の持つ思いが、自然と引き寄せているのではないだろうか。

♪雑踏
♪異国の人
♪私は後悔しない
♪愛の讃歌


ピアフのシャンソンは、トキコさんが二十歳を迎える頃にピアフがこの世を去り、その生き方をモデルにしようとシャンソン・コンクールに挑んだ。残念ながら優勝できず、以来あまり歌ってこなかったという。でも『愛の讃歌』は今や欠かせない歌となった。

「2002年に夫が他界して、この歌が歌えなくなった。でも2006年に思い切ってレコーディングをしたときに気づいた。これはピアフが愛する人を亡くした半年後に、レコーディングした歌。人はみな逝ってしまうが、そこからは永遠という別の時間が続いていく、心の中に思い続ける限り人は存在し続けるということを、おそらくピアフはこの歌で歌い続けてきたのではと思います」
大切な人を見送ったあと、どうなるのか。
その人との関係は別の形で続いていくというトキコさん(おそらくピアフも)のことばは、数年前に父を見送った私自身の今も癒されぬ気持ちを少しだけ、軽くしてくれたような気がして、ピアフを歌うトキコさんを撮りながらちょっぴりめがねが曇った。

「プログラムの最後に、みんなどこかで頑張っているよねという意味を込めてこれからもずっと大切に歌っていきたい一曲を歌います。『時には昔の話を』

♪時には昔の話を

笑顔でトキコさん、バンドメンバーの順にステージから姿が消えても、会場からは割れんばかりの拍手が続いてやまない。どこからか、「ありがとーう」というコールもかかった。
そうしているうちに、赤いエレキを抱えてトキコさんが出てきた。

「最後に一曲、弾き語りでね」
今年は一年遅れの東京オリンピック。オリンピック会場(国立競技場)が見える家に前回のオリンピックから住んでいるトキコさん家族だが、今回は一人でオリンピックを見ていたというトキコさん。
「こんなの寂しいよ!と思ってね!(笑)」
今年は告井さんも所属するバンド、センチメンタル・シティ・ロマンスのリードボーカルだった中野督夫さんが天国へと旅立った。
「そういうこともあって、号泣したい、声を上げたい、という想いから作りました」

♪声をあげて泣いていいですか
~辛くても苦しくても 光のなかへ~ (作詞作曲:加藤登紀子)

歌詞はひとつひとつ、涙がでそうになる状況を歌っているのに、それをあったかい旋律にのせて包み込むように歌い上げるトキコさんの包容力の深さに、悲しみとは違う意味で涙がでそうになる。

続いて告井さん作詞作曲の、センチメンタル・シティ・ロマンスの作品で『雨はいつか』。
中野督夫さんがメインパートを歌い、ハーモニーで告井さんが歌っていた名曲だ。

♪雨はいつか
~ひとりで旅に出るのなら 独り歩きのさびしさを
沈む夕日の真ん中に 溶かしてしまえ それからさ~(作詞作曲:告井延隆)

この日は告井さんの温かな歌声から始まり、トキコさんの声がそれに重なって、ハーモニーになっていく。どこか懐かしく、どこか寂しいけれど、光に向かって歩いていくような、さりげない空気感。まるで夕日に向かってとぼとぼと歩く一人の旅人に、仲間がだんだんと合流していくように、声が重なり演奏がそれを温かく支えていき、淡々と進んでいく温かい旋律。渡辺剛さんのヴァイオリンが間奏を華やかに彩る。
~雨はいつか あがるもの
雲はいつか 切れるもの
揺れるこころの 果てるまで~(同上)

ステージ下でカメラを抱えてしゃがむ私のすぐ脇で、ふと、お客さんが言うのが聞こえた。
「告井さんの声、綺麗でいい声だね」

歌い終わり、会場中からわきあがる拍手の中、トキコさんが笑顔で叫ぶ。
「ありがとう!!」

そのまま疾走感のある明るいイントロが始まり、明日をあきらめない、というメッセージの楽曲が始まる。

♪Never Give up tomorrow

「終わっちゃうね!」

名残惜しそうにお酒を盃につぐトキコさん。

「みなさん呑めなくて、ごめんなさいね!私が代わりにもう一回呑みます。
本当にありがとうございました!乾杯!!」
そして気持ち良く、カっと盃をあげて飲み干すと、空にぱあっと雫をばらまいた。

「来年、まっさらになるみたいに、スカッと年が明けることを祈って。
一番新しくレコーディングした歌を歌って終わりにしたいと思います!
中国地方の美しい川をテーマに作りました。Yaeも一緒に、お送りしたいと思います」

♪江の川挽歌

静かで美しい楽曲が終わると、拍手が客席から広がっていく。
本当に終わっちゃう、そんな気持ちが高まりそうになったとき、笑顔で大関の一升瓶を持ってYaeさんに酒をつぐトキコさん。客席も楽しそうな笑いに包まれていく。
Yaeさん「2022年、素晴らしい年にしましょう、乾杯!」

Yaeさんもトキコさんに負けない気持ち良い飲み干し方で盃を上げると、思わずトキコさんから『酒は大関』がアカペラで飛び出す。もちろん、セットリスト(予定楽曲)にはありません!みわたせば、客席は嬉しそうな笑顔と、拍手の渦。

♪酒は大関
~白い花なら百合の花~ (作詞作曲:小林亜星)

トキコさんが歌いだし、Yaeさんが加わる。親子で歌う名曲に酔いしれ、余韻にひたっていると間もなくYaeさんからもサプライズのアカペラが。
翌27日に78歳になるトキコさんへの、バースデーソングだ。
♪Happy Birthday

どんどん、告井さんはじめバンドメンバーが加わり、大きな温かいハーモニーとなっていく。
嬉しそうに聞いていたトキコさんが、みんなの歌い終わりに笑顔で叫んだ一言は・・・

「ダブルサンキュー!!(笑)」
会場は楽しそうに大笑いと拍手でいっぱいになった。
一列になって挨拶をして去っていくトキコさんとバンドメンバーに、本当に心のこもった温かい拍手がずっとずっと、続いていた。

ヒダキトモコ

写真家。日本写真家協会(JPS)、日本舞台写真家協会(JSPS) 会員

東京都出身、米国ボストンで幼少期を過ごす。専門はポートレートとステージフォト。音楽を中心とした各種雑誌、各種ステージ、CDジャケット、アーティスト写真等に加え、企業の撮影も多数担当。趣味は語学とトレッキング。

​Instagram : tomokohidaki_2 / Twitter ID : hidachan_foto