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ドキュメントTokiko

2023
07.
03
満員の客席は、広場の真っ赤なバラの花(2023年夏の東京国際フォーラム)①
初夏の季節、有楽町にある東京国際フォーラム。例年だとオーチャード・ホールでの夏のコンサートが恒例だが、この年はオーチャードの改装もあり、東京国際フォーラムでの開催となった。
真っ暗な広い客席に向かって、いつも通りの丁寧なリハーサル。トキコさんの背後に立って、少し撮影をすると、客席はまるで無限に広がる真っ暗な海のように見える。その広い闇に向かって歌っていくような感覚に、アーティストさん側からの景色はこんな風に見えるのか、そう思いながら撮っていると、トキコさんはふと、客席を大きく抱きしめるように手を広げた。
この日はロビーで、ウクライナから避難している子供たちによる絵がたくさん飾られていて、開演前や終演後も、お客様がじっくりと絵に見入る姿があった。一枚一枚、丁寧に見ていると、これを描いた子供たちが大人になるころ、世界がもっと平和でありますようにと願う気持ちが自然とわいてくる。

【さあ開演!】

少しずつ開演時間が近づくころ、楽屋エリアから舞台袖までの廊下でトキコさんを待つ。
一部の衣装は、どんな衣装だろうと思っていると、ふんわりと少女のような歩き方で登場したトキコさんは白いスイトピーのような衣装に身を包んで、ちょっぴり微笑んだ。


袖にトキコさんが入ったのを見届けて、カメラを数台下げたまま、静かに客席へ移動する。
満員の客席が放つ期待とエネルギーを背中に感じながらステージに向かって待てば、暗いステージ上にバンドメンバーが滑るように入ってくる。

続いて、先程のかわいらしい白い衣装がライトに照らされ、客席は一層大きな拍手でトキコさんを迎え入れた。
1曲目は「サンセット・サンライズ」。
バンドメンバーとのコーラスから、この日は始まった。

♪サンライズ・サンセット
♪美しき5月のパリ

のっけから深いコーラスの海の中を泳ぐように、その歌世界へと一瞬で客席を連れていく。
大きな拍手の中、開口一番トキコさんが言った言葉。

「どうも、150歳の加藤登紀子です」

客席からどっと笑いが起こる。
なぜだろう、と思う間もなくそのまま続くトキコさんの話に、みんなは聞き入っている。

「『さくらんぼの実る頃』は、丁度150年くらい前の、1871年の5月、パリ・コミューンを歌った歌です。5月21日からの一週間は血の一週間と呼ばれ、ペール・ラ・シェーズという墓地に立てこもったパリ・コミューンの兵士たちは最後の銃撃戦でみんな死んでいきました。この歌は、フランス人にとって国歌の次、というくらいに愛された歌です」

それから50年後くらいの時代設定の映画『紅の豚』のなかで、トキコさんが声優と歌を担当した歌姫ジーナが、この歌を歌っている。
映画の中でのジーナが「丁度50年前にパリ・コミューンがあったの。みんな覚えてる?」みたいな気持ちで歌ってね、と。トキコさんは今日、そんなジーナと同じ気持ちで客席に歌いかけているのだという。

「この100-150年、私たちはどう生きてきたのか、そしてどこへいくのか、今日は思いながら歌っていきたいと思います」
トキコさんの歌世界の大きな柱の一つは、世界各国を旅して出会ったいろんな時代の、いろんな地域の、沢山の素晴らしい歌に、日本語の翻訳をつけて歌い、再びその歌に光をあて、いまのオーディエンスにその素晴らしさを紹介すること。もう一つの柱はもちろん、トキコさん自身の作る歌。
どちらもトキコさんの心のフィルタを通して描かれる美しく深い世界。
聴く者はその中を心地よく漂いながら、トキコさんの見て感じてきた、広い世界へといざなわれるのと同時に、人は国や時代が変わっても、変わらないものがずっとあることも感じさせてくれる気がする。

「ここから、紅の豚のラストテーマに宮崎さんが選んでくださった、私のオリジナル曲を皮切りに、少し私自身の歌でつづってみたいと思います」

♪時には昔の話を
♪知床旅情
♪Revolution

歌が終わった瞬間の、あまりの客席の盛り上がりとホール全体に漂う充実感に、トキコさんの口から思わず飛び出した言葉。。。

「なんかもう、終わってもいいような感じになっちゃったけど(笑)・・・はじまりです」

こうして色とりどりの歌世界の合間に少し軽くて楽しい空気を入れて笑わせてくれるのも、トキコさんのコンサートの楽しみの一つだ。

「どんな時も、いい時代だったわけではありません。でも、その中に素敵だったね、と思える時代もあって。宮崎駿さんのいうところの、あれはむなしいものだったと、誰にも言わせたくないと・・・それは『時には昔のはなしを』の歌詞になるのですけれども。
その私の原点というべき、1968年ころの歌を2曲歌います」


♪ひとり寝の子守唄
♪1968

歌い終わると、会場は大きな拍手に包まれ、トキコさんはその中で、ささやくように「ありがとう」と言った。

そのまま、拍手が小さくなった頃、トキコさんにとって居なくてはならないバンドメンバーのトップ、ギターの告井さんについて語り始めた。

「告井さんと初めて一緒に仕事をしたのは、1973年。私が72年に結婚して、私は一年間、歌手をやめました。その時は、もう歌手生活に戻れないかもしれないという覚悟もしていました。その後、いろいろと考えて、やはりまた始めればいいじゃない?と思い直して再出発。その時に出会ったのが告井さんでした。その時、私は29歳。告井さんは22歳でした」

あまりの若い数字に、会場が笑いと拍手と包まれる。

「告井さんの所属するロックバンド「センチメンタル・シティ・ロマンス」が始まったばかりの頃で。いろいろ沢山、旅を共にして、色んな場所でレコーディングしました」

「三味線がいいかもって言えば三味線を弾いてくれる。
中国琵琶がいいかなって言えば、中国琵琶を弾いてくれる。
そんな感じで旅をしました」というトキコさん。

今でも、トキコさんが急に歌いたくなった昔の歌、コンサートのセットリストにない歌を、何気ない顔でさらりと弾いてくれるのも告井さんである。

初めての子育てをしながら、新しいアルバムも次々と作って、旅をして、70年代、80年代を手探りで、でも精一杯生きていたトキコさんにとって、告井さんは共に旅をする戦友のようなアーティストだったのかもしれない。その延長線上に、きっと今があるのだろう。

2年前のコロナ渦で、オリンピックが無観客で、外に出られず家で独りテレビを見ていた、そんなときに作った歌『声をあげて泣いていいですか』。そしてウクライナへのロシア侵攻が始まり、ウクライナ支援のためにトキコさんが作ったアルバムの中の曲、『果てなき大地の上に』。色んな思いを乗せた作品が続き、あっという間に一部の終わりとなった

♪声をあげて泣いていいですか
♪果てなき大地の上に

あふれる拍手の中、「ありがとう!!」と爽やかにトキコさんは出ていった。
その姿が消えても、しばらく拍手は消えなかった。

ヒダキトモコ

写真家。日本写真家協会(JPS)、日本舞台写真家協会(JSPS) 会員

東京都出身、米国ボストンで幼少期を過ごす。専門はポートレートとステージフォト。音楽を中心とした各種雑誌、各種ステージ、CDジャケット、アーティスト写真等に加え、企業の撮影も多数担当。趣味は語学とトレッキング。

​Instagram : tomokohidaki_2 / Twitter ID : hidachan_foto